お金とは一体何なのか?vol.919
近いうちにお金のセミナーを受けることになりました。
お金のセミナーと言っても、iDecoやNisaといった実務的なお金の使い方、あり方についてではなく、もっと本質的な部分です。
本質的と言われても分からんと言われて終えばそれまでなのですが、、、。
なぜなら私自身何を学ぶか分かっていないからです。
でも、だからこそ学ぶ必要があるなと思っています。
お金に対してのイメージや価値観はあれど、そこが生活にどう結びつくかは分かりませんから。
お金に対する価値観
みなさんはお金に対してどのようなイメージをお持ちでしょうか。
私が持つお金のイメージは、「お金は天下の回りもの」という有名な言葉そのものです。
お金は必要な時に必要な人に必要な分だけ回ってくるもの。
そう言うふうに考えてます。
ただただそう思ってるといってしまうと、世の中には貧困で苦しんでいる人もいれば、湯水のように使う人もいると考える人もいます。
でも私は言ってしまえばそれ自体もお金に意思があってそのような状況を作り出しているのではないかと思うのです。
これは綺麗事と言われればそこまでです。
私自身そこまでお金に困ったと言う経験がないので、頭ごなしに叩かれて終えばそこで終了。
でも私の経験の中にも、必要のない支出やお金に左右された過去があるからこそこう書けているのも事実です。
ない時はない、ある時もない
みなさんは、お金が十分にあると感じた時はありますでしょうか?
おそらく多くの人が、「お金がない」という状況になった経験の方が多いと言うのではないでしょうか。
このことから考えても、十分なお金というのは人それぞれであり、いくらお金があっても人は十分と感じにくいのではないかなと思ってしまいます。
確かに給料日やボーナス明けにあまりあるお金を手にして一喜一憂する人もいますが、それは長くは続きません。
今あるお金に翻弄されて、いっときの感情の起伏に流されてしまう人がほとんどです。
と考えると、お金というのはない時には当然のことながらないと感じ、あるとかですらもいっときの優越感に浸る程度で、すぐにないという感情に束縛されてしまうのではないでしょうか。
当然貯金をコツコツと積み重ねてきた人もいるかと思います。
しかしそう言った人でも、貯金をするためにお金がない状態に陥るために結局のところ「お金がない」という心理状態を生み出しやすいように感じます。
お金は社会の信頼でしかない
ただ、お金の魔力はすごいかもしれませんがお金自体にはそこまで力は宿っていないようにも感じるのです。
これは私が大学時代に言った東南アジアへの旅行がきっかけになっているのかもしれませんが、、、。
結局お金がどんなにあろうとも、それは互いにお金に価値があると信頼しているからこそ成り立つ契約で、最悪の場合武力で解決するという方法を取られればお金など何の効力も持たないわけです。
それなのにお金は持っている持ってないで人の心を、気軽に上下させる魔力を兼ね備えています。
こんなお金の本日とは一体どこにあるのか。
正直考え始めたらキリがないですね。
今も切りどころのないこの話、また次回以降の記事にしていきたいと思います。