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レッサーパンダの粘膜便症 ぱーと3

レッサーパンダが時折、1〜3日程度、食欲低下や無気力になり、粘膜状の便を排泄した後、元の体調に戻る現象があります。この症状は、北米の「レッサーパンダの飼育ガイドライン」では、“This is a very common occurrence and does not usually require any medical attention. (要約:一般的な現象で治療不要)”と記されています。しかし、短期間とはいえ、食欲が落ちることなどから、老齢のパンダでは発症中に免疫力が低下すると考えられてます。以前より粘膜便症について、論文等を調査していましたが、その原因や治療方法などは不明なままです。

粘膜便症についての論文紹介などは、以下のnoteに記しています。

そして、新たな粘膜便症の論文が発表されていましたので、紹介します。

この論文を執筆・公開したのは、オーストラリアのPerth動物園です。
当該動物園は、1995年からレッサーパンダを飼育していますが、粘膜便症を発症するパンダはいませんでした。しかし2006年10月に搬入されたHarley(♂)が定期的に粘膜便症を患うようになります。南半球の春から夏にあたる10月から2月にかけて、1〜2回/月の頻度で発症していました。年齢とともに発症期間が長くなり、頻度も1〜3回/月と増加傾向にありました。
当初は、敷地内に実るイチジクの食べ過ぎ、野鳥の糞による感染症が疑われ、原因調査を実施(腸内細菌の確認や、エコー検査)しましたが、原因特定には至りませんでした。そこで、レッサーパンダの国際血統登録管理者(論文中ではGSMPコーディネーターと記載)と、米国Knoxville動物園に問い合わせることで、一般的な症例であるとの説明を受けています。

Perth動物園は、飼育動物の福祉を向上させる目的で、レッサーパンダを飼育している園館にアンケート回答を依頼し、粘膜便症を発症するパンダの特徴を調べてました。回答は76施設(うち27施設で症例あり)で、アンケート実施時(2012年)のパンダ飼育園館の35.5%になります。日本からも14園館が回答に協力しています。このアンケート結果が、この論文の主旨となります。

では、論文中に記された「粘膜便症」の特徴を紹介します。

粘膜便症の性差(♂=113,♀=117)

A total of 113 male and 117 female red pandas were being kept by the 76 respondents at the time of the survey, of which 34 (30%) of the males and 31 (26%) of the females were reported as exhibiting signs of RPDS, indicating that the sex of the animals was not a significant factor in expression of signs. (要約:オス30%、メス26%で、性差は発症兆候に影響を与えない)

アンケート回答のあった園館と飼育レッサーパンダを対象とした発症率は、オスメス合わせると28%になります。多少オスの発症例が多い結果となっていますが、サンプル数と偏りから性差による違いは見られないという結果となります。

粘膜便症の季節性(回答園館数=16)

Sixteen respondents reported on the seasons when bouts occurred, with 6 (37.5%) observing them during summer, 9 (56.2%) in autumn, 4 (25.0%) in winter and 8 (50.0%) in spring. (要約:発症した季節は16施設が回答し、夏6、秋9、冬4、春8の施設で観察された)
There was no significant effect of season on the reported incidence of RPDS.(要約:発症率に季節の影響は見られなかった。)

論文中には、粘膜便症の別称として、“夏バテ(summer slump)”や、“パンダ鬱(panda blahs)”があると紹介しています。Perth動物園も春から夏にかけて発症していることから、季節性の発症を疑っていましたが、アンケートからは季節性は見られないとの結果となります。

粘膜便症の地域性(回答園館数=76)

There appears to be a preponderance of affected animals in North American and Japanese institutions, 《途中略》 It is noteworthy that affected animals are very uncommon in European institutions or in institutions in the southern hemisphere. (要約:北米と日本の施設では罹患動物が圧倒的に多く、《途中略》ヨーロッパの施設や南半球の施設では、罹患動物は非常に稀であることは注目に値する。)

アンケート結果から、北米と日本で飼育しているレッサーパンダが圧倒的に発症例が多いことが判明しました。これは、「レッサーパンダ飼育ガイドライン(EAZA)」の粘膜便症に関する記述(下記に引用)と矛盾が生じていますが、調査時期(2012年)と飼育ガイドラインの発行年(2021年)の間の経過年の影響が考えられます。この9年の間に、欧州での発症例が“稀”であったものが、“一般的”と称されるほど増加しているのかもしれません。

Mucoid stools is frequently reported by holders in North America. It never used to occur in the EAZA region but is becoming more common. (途中略)The cause is still unknown, and several studies are ongoing to better understand this condition.  (要約:粘膜便は、北米の報告は頻繁にあるが欧州は事例はなかった。しかし欧州でも粘膜便の報告が一般的になっている。原因不明、いくつかの研究が進行中。)

EAZAレッサーパンダ飼育ガイドラインより

論文では、発症例に地域性が認められることから、遺伝性、感染性、環境依存を疑っていますが、論文執筆時は、詳細を調査できなかったと以下のように記されています。

Research into the pedigree and husbandry of animals in institutions with affected and healthy red pandas is required to shed further light on whether this condition is inherited, passed from mother to offspring, or can be linked to specific husbandry conditions. We were not able to investigate this issue further as at the time of our survey, the studbook feature within the Species360 software system had not been developed and deployed.(要約:この症状が遺伝性、母子感染、飼育条件依存かを明らかにするためには、血統と飼育方法の調査が必要だが、調査時点では、Species360 の血統登録台帳機能は未完成であったため、詳細な調査はできませんでした。)

「Species360の血統登録台帳機能」とは、Webベースの血統登録台帳です。正確に記すと「Species360が運営しているZIMS Studbook」となります。レッサーパンダの血統情報は、従来のスタンダーロンベースの台帳から、2019年頃にWebベースのZIMS Studbookにデータ移行されています。このため、当該論文の調査時には、ZIMS Studbookは本格稼働していなかったと思われます。しかし、現在でも粘膜便症の発症有無まで、祖先に遡って情報登録されているとは思えないため、遺伝性を実証するのは難しいのではないかと思います。
母子感染は、なんらかの菌かウイルスが検出され、粘膜便症を発症するパンダから共通して抽出できれば、感染症であると実証できるでしょう。感染者でも日和見で発症するならば、免疫力向上のための飼育手法で、発症回数や症状の緩和も期待できそうです。

粘膜便症の治療実施有無についてもアンケートしています。

治療内容(回答園館数=10)

Only 10 respondents provided feedback on whether the treatments (veterinary or diet manipulation) provided an improved welfare outcome. Five of these ten respondents felt that improved welfare ensued. Those five respondents who indicated that treatments did work, confirmed that the regime worked on all red pandas to which it was applied. Three respondents found that the affected animals recovered quickly once they were provided with additional fresh bamboo or bamboo powder in their diet. (要約:治療(獣医学的治療または食餌操作)の回答はわずか10施設。うち5施設は全てのパンダが改善。3施設は、食餌に新鮮な竹や竹粉を追加すると、患畜がすぐに回復することを発見。)

北米版の飼育ガイドに「一般的な現象で治療不要」と記載されているためか、粘膜便症を経験している27施設中10施設だけが、治療を行っていると回答しています。治療は投薬と食餌内容の調整がほとんどです。新鮮な竹を与えることで回復が早まることを経験している園館が3園報告されていますが、この件に関しては、論文中で以下のように懐疑的な考察を示しています。

Given that the duration of bouts is typically only 1–3 days regardless of whether ‘treatment’ is applied, it is difficult to determine whether dietary manipulations provide any useful relief. (要約:「治療」の有無にかかわらず、発症期間は通常1〜3日のため、食事療法の有用性を判断することは困難です。)

粘膜便症を発症しても、寿命や繁殖には影響はでていないとの見解もありますが、年齢とともに頻度が増加することも論文中で報告されていることから、レッサーパンダの福祉が低下している可能性は十分に考えられます。粘膜便症の緩和方法が見つかることを願っています。

最後に粘膜便を見たことがないレッサーパンダフリークも多いと思いますので、その写真を提示します。

赤枠:排出された粘膜便


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