担々麺の可能的様態を求めて

「可能的様態」とは吉見俊哉がメディア論の中で用いた造語であり、「違う世界線ではそうなっていたかもしれない姿」のことである。
もしも今と少しだけ歴史が異なっていたら、電話は音楽を配信するためのメディアだったかもしれないし、防災無線がインターネットだったかもしれない。メディアに限らず、身の回りにあるもの全ての陰には、幻となった可能的様態がある。

そこで、担々麺である。なぜ担々麺なのかと言えば、私の好物だからだ。

グルメ愛好家の間では有名な話だが、もともと中国で食べられていた担々麺は汁なしタイプで、麺に具をのせてたれをかけただけの簡素な食べ物だった。
それを芝麻醤ベースのスープを使ったラーメンにアレンジしたのが陳建民である。この担々麺がブームになったため、日本において担々麺と言えば陳建民の担々麺を指すようになってしまった。

つまり、もしも陳建民がいなかったら、あるいはそれほど有名人でなければ、今の日本で「担々麺」と呼ばれているのは別の食べ物だったはずだ。

そのような担々麺の可能的様態が、ガラパゴスのように残っている地域が関東にもいくつかあると聞き、さっそく巡ってみた。

まず、一時期話題になった勝浦式タンタンメン。かつて勝浦の海女が、海で冷えた身体を温めるために食べていたらしい。「原田」と「江ぐち」が有名で、自分が行ったのは「原田」のほうである。
注文すると、厨房の方からジュージューという音とともに辛い空気が漂ってきて、鼻はムズムズ、目はショボショボしてくる。出来上がったラーメンには、炒めた玉ねぎと大量のラー油が乗っている。
自宅で実験してみたが、普通に炒めた玉ねぎの上にラー油をかけてもこの辛さは出ない。初めからラー油で炒めていると思われる。だからあれほど目鼻の粘膜を刺激する蒸気が漂っていたのだ。

次に、神奈川東部のタンタンメン。 大量のニンニクみじん切り、唐辛子、少量の挽肉を炒めたものをスープで軽く煮込み、卵で綴じたものが具となっている。
「ニュータンタンメン本舗」というチェーン店が有名だが、他にも中華料理店やラーメン店で扱っていることがあり、「タンタンメン」とカタカナ表記することで、横浜や川崎の住人なら「ああ、そっちのタンタンメンなのね」と分かるようになっている。

最後に、小田原式タンタンメン。御殿場線上大井駅にある四川という店が発祥で、市内にはインスパイア系の店も数件ある。
挽肉と香味野菜を炒めてあんかけ状にしたスープに、麺を上から乗せている。食感は日本のジャージャー麺に近いが、味はかなりニンニクが効いている。

こうして見ると、芝麻醤を使う現在の担々麺のほうがよほどガラパゴスのような気がする。
無数にあった可能的様態から、陳建民のレシピがメジャーデビューに選ばれたのは、決して平均的な様態でもなければ、1番優れた様態というわけでもなく、偶然にすぎない。

日本各地には、食文化以外でも様々なジャンルにおける可能的様態がひっそりと生き残っているはずだ。
服、家、祭り……。それらを発見して記録していくことで、文化的多様性が保たれ、日々変化していく社会を豊かに生きることに繋がるのではないだろうか。


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