昭和の深夜放送とインターFMで話したこと
毎朝両親が寝ている隣の部屋から、朝7時になるとTBSラジオの「サラリーマンニュースショー、朝のファンファーレ」が聞こえてきました。それが目覚まし時計がわりでした。
中学生になって、自分専用のラジオを買ってもらったときは、夢中になって聞いたものです。深夜放送を聞き始めたのは、中間テストや期末テストに備えて、夜遅くまで勉強することになったときでした。
TBSラジオのパックインミュージックでは、野沢那智と白石冬美の「お題拝借」が面白かったです。今のNOTEのように、ネタになるテーマが決まっていて、リスナーがテーマにそった投稿をするものです。
その番組は、ナッチャコパックと呼ばれていて、中学校の同級生では、聞いている友達が結構いました。読者が投稿した文章は、のちに「もうひとつの別の広場」と言う本にシリーズ化されて出版されました。私は何冊か買いましたが、今は手元に残っていません。有名な投稿は、「男は黙って〇〇ビール」と大学生が就職面接で答えたものです。学生が企業の面接にのぞんだとき、色々な質問を面接官から受けたとき、何も答えなかったそうです。面接官は頭に来て、出ていくように言ったところ、彼は当時のテレビコマーシャルでよく目にした「男は黙って〇〇ビール」と一言言って、退室したと言う話です。彼が面接に通ったかどうかは、覚えていません。
文化放送では、セイヤングと言う番組がありました。確か落合恵子さんがレモンちゃんと呼ばれていた頃です。若かったときの落合恵子さんは、とてもきれいなおねえさんでした。彼女が当時書いたスプーン一杯の幸せなどのエッセイは、中学生でもわかりやすいエッセイでした。
ニッポン放送では、今でも続いているオールナイトニッポンがありました。私は洋楽の詳しい解説をしてくれるDJが好きでした。
ラジオ関東(RFラジオニッポン)では深夜放送ではありませんが、湯川れい子さんのアメリカントップ40にはまりました。この番組は、当時のFENでも放送していたアメリカントップ40の日本語版です。クィーンのボヘミアンラプソディがヒットチャートをばく進したのを、わくわくしながら聞きました。映画のボヘミアンラプソディが大ヒットし、クィーンの曲をラジオや
テレビで聞いた時、まるでタイムマシンに乗って中学・高校に戻ったような気分になりました。
大学生になってからは、通学で早起きしなければいけないこともあり(通学が1時間半で、1年生の時は1限から始まる授業がほとんどだった。)深夜放送からは遠ざかってしまいました。しばらくたって、インターFMが日本での放送が始まった頃、珍しくてよく聞いていました。クリスマスパーティを放送局で行うイベントがあり、参加をしたことがあります。確かその番組は電話でリスナーの経験を募集することもおこなっていました。アメリカ人のDJだったと思います。私は一度電話で参加をしたことがありました。
そのときは旅行の体験談を募集していました。年末年始に(唯一の連続休暇が取れる時期だった)メキシコのロスカボスに一人旅をしたときのことです。ロサンゼルスでアラスカ航空に乗り換えるのですが、アメリカの北部が悪天候で、飛行機の到着が7時間遅れました。遅れた飛行機に乗り、メキシコに到着しましたが、到着時間が午後8時を過ぎたため、ホテルにはノーショーと見なされ、予約が取り消されてしまいました。その日は、ホテルの人の用意した車で、山の中の小さな宿に連れて行かれ、そこに泊まりました。
今思うと一人で旅行をしていて良かったと思います。夫婦で旅行をしていたら、夫は取り乱して怒ったと思います。
さて、今では深夜放送ではなく、早朝のラジオ放送を聞くようになりました。しばらく5時起床のスケジュールで働いていたことがあり、早く目が覚めてしまうからです。
ニッポン放送の上柳昌彦 あさぼらけはを聞くと元気なシニアのリスナーが沢山いるなと思います。飯田浩司のOK!up!は、ニュース解説がわかりやすくて面白いです。そのあとの柿花正あなたとハッピーでは、森本卓郎さんの経済解説がためになります。最近インスタを見ていると森本さんになりすましの投資を誘う広告を見ることがありますが、森本さんはSNSなんてやっていないと言っていました。
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