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東海道NOW&THEN 21 「丸子」

府中から丸子まで1里16町。約5.7km。

 安倍川を渡り、「手越の灸」の高林寺を左に見て丸子の一里塚まで小1時間。一里塚を過ぎると丸子宿の江戸方見附は目と鼻の先。「まるこ」ではなく「まりこ」。だから漢字での表記もときおり「鞠子」を見かける。

 広重が描いたのは「丁子屋」。慶長元年(1596年)創業で現在まで続く、とろろ汁を食べさせる有名な店。絵に描かれている男の客2人は、弥次喜多と思われる。『東海道中膝栗毛』には、丁子屋に入った弥次喜多がとろろ汁を注文。ところが店主と女房が夫婦喧嘩を始め、すり鉢をひっくり返し辺り一面とろろだらけ。とろろまみれで喧嘩する夫婦を尻目に、弥次喜多は呆れて食べずに店を出る、その顛末が書かれている。
 写真は見ていただくとわかるように、丁子屋は昔の姿を今にとどめている。構図など何も考えることなく、店の前に立ちシャッターを切れば、広重の絵になる。

 丁子屋の前に、二つの石碑。ひとつは「十返舎一九 東海道中膝栗毛の碑」。もうひとつは、芭蕉の句碑「梅わかな 鞠子の宿の とろろ汁」。とろろ汁を食べに今も多くの人がやってくる。車を飛ばして来る人もいれば、観光バスも停まる。私のように東海道を歩き、丁子屋に来る人。
 残念ながら、私はとろろ汁を食べることなく、丁子屋を素通りした。次の宿・岡部への途中に東海道の難所のひとつ「宇津ノ谷峠」があり、日が暮れる前に峠を越えたいとの思いが強く、後ろ髪を引かれつつ丁子屋を後にした。

 宇津ノ谷峠へは丁子屋の前の丸子橋を渡って少し歩き、「元宿山大日如来登口」の道標の先を左に入るはずだった。ところが、左へ入るのが1本早く道を間違えた。進む方向には山が見え、緩やかな上り道なので宇津ノ谷峠への道だと信じて疑わなかったのだが、やがて駐車している大型トラックの列。その脇を抜けると、産廃処理場に出くわす。初めて「あれれ…」と思い処理場の人に尋ね、道を間違ったことに気づく。すでに30分以上も来てしまっている。急いで戻り、苦労の末、正しい道へ。道を間違えて無駄に費やしたのは1時間と少し、それでも日が暮れる前に峠を越えることはできた。それを考えると、とろろ汁を食べりゃよかったぁ…なのであります。

  道を間違え、焦る心を抱えて宇津ノ谷峠を目指します。宇津ノ谷峠まで約4km。

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