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東海道NOW&THEN 31 「舞坂」

浜松から舞坂まで2里半と12町。約11.1km。

 麦飯長者跡から平坦な道を進む。篠原の一里塚を過ぎ、約1時間半で舞坂の東見附だ。見附前の約1km、長池の松並木が続く。

 15世紀末まで浜名湖は淡水湖だった。砂州が遠州灘と浜名湖を分けていて、東海道はその砂州の上を通っていた。だが、1498年の大地震で砂州が途切れ、浜名湖と遠州灘はつながる。以来、その砂州であった所は舟での渡しとなる。広重の絵は、その「今切の渡し」を描いている。舞坂側つまり東岸からの景色だと私は思っていたのだが、右後方に富士が見えることから西岸の次の新居宿側から見た景色。つまり画面に見えるのは浜名湖。ところが、広重は25「金谷」の「大井川遠岸」でやったように、そこにはない山を描いている。正面にそびえたつ黒い山がそれ。右の写真は新居宿側へ橋を渡り、東に向いて撮った写真。残念ながら富士は見えない。さらに、ご覧のように広重が描いた山はない。広重はこの絵に「今切真景」と名付けている、むむむ。
 
 麦飯長者から舞坂宿の東見附にある長池松並木までは1時間と少し。その少し手前に春日神社がある。参道には雌雄一対の狛犬ならぬ狛鹿。めずらしい。
 松並木を抜け、東見附の交差点。そこで遠州の七不思議のひとつ「浪小僧」の石像が迎えてくれる。遠州灘沿岸では、漁に出るとき海鳴りの音で天候を判断したのだという。その海鳴りについて古くからの言い伝えが「浪小僧」。地引網が盛んな遠州灘。あるとき、網に真っ黒な小僧がかかった。漁師たちは気味悪がり殺そうとすると、その小僧は「浪小僧」だと名乗り、命を助けてくれれば恩返しに海が荒れたり風が強くなる時は海の底から太鼓を叩いて知らせると言う。海へ帰してやると、それ以来、大雨や嵐がやってくる時は太鼓のような海鳴りが聞こえてきて、漁師たちを大いに助けたという。

 舞坂の脇本陣は建物が保存され公開しているので、宿場の雰囲気を知ることができる。脇本陣のすぐ裏にある「岐佐神社」には、蚶貝比売命(サキガイヒメノミコト=アカガイの神)と蛤貝比売命(ウムガイヒメノミコト=ハマグリの神)が漁業の盛んなこの地域の氏神として祀られている。古事記の中で、兄神たちの策略で大やけどを負い瀕死となった大国主命の命を救ったのが、この両神。熱病ややけどにご利益があるのだとか。
 宿場の西見附には、今切の渡しの渡船場がある。「雁木」という。一般的には「ガンギ」というらしいが、舞坂では「ガンゲ」。南雁木は荷物を運ぶ舟、本雁木は一般庶民の、北雁木は大名や役人たちの渡船場だった。本雁木は再現されている。

 雁木を出ると、今切の渡しには、あたりまえだが現在は橋がかかっている。新幹線、JR東海道線、そして国道の鉄橋が並んで浜名湖を横断する。右に浜名湖、左遠くに遠州灘を見ながら国道に沿って歩くと、次の新居宿までは1時間と少し。

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