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凛としてあり続けた茨木のり子さん


最近、茨木のり子さんの詩に励まされている。

とても好きな詩は、自身が48歳の時に書いた
『自分の感受性くらい』


『自分の感受性くらい』

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

谷川俊太郎選 茨木のり子詩集より


読んでいると、自然に背筋がシャキッとして、自分の甘ったれた生温い部分を叱咤されているような、
「あなた、しっかりしなさいよ!」と、頬を叩かれたような気持ちになり、目が覚める。

特に最後の三行は、厳しくもありながら、とても愛のこもった言葉だ。

毎朝、水を飲むようにこの詩を読み、一日をスタートさせて、
ときに、だらけた昼間も読み返しては活を入れ、夜はとことん自分を甘やかし、労い、そしたまた新しい朝がやって来て、読み直す、そんな日々が続いている。



二十歳で終戦を迎え、その時の経験を綴った『わたしが一番きれいだったとき』は教科書にも載ったので、記憶に新しい人もいるのではないでしょうか。


『わたしが一番きれいだったとき』
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった



「わたしが一番きれいだったとき」より抜粋


代表作の一つ『倚りかからず』もまた、絶望の状況の中でありながらも、信念を持って生きよ、というストレートな思いが心に刺さる。
飾り気のない言葉で綴った文面からは、その自立した精神をもうかがえる。


『倚りかからず』

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ

茨木さんが唯一、心を鎮めていたその椅子は、最愛の夫が買ったものだという。

脳動脈瘤破裂によって、ひっそりと79年の生涯を閉じたとき、遺書「お別れの手紙」が用意されていた。

その内容は茨木さんの人柄が滲み出るもので、"この度わたくしはこの世におさらばすることにしました。"
から、始まり、生前お世話になった人への感謝を綴り、
"あの人も逝ったかと、一瞬、たったの一瞬思い出してくだされば、それで十分でございます"と書かれてある。

最後まで"凛"であった女性です。


まだまだ好きな詩はたくさんあるけれど、
最後はこの詩で締めくくりたい。
生前に書いた、最後の詩のようです。

忙しない毎日の中で、自分を見失ってしまいそうなとき、、
そんなとき、この詩を思い出してください。

『行方不明の時間』

人間には
行方不明の時間が必要です。
なぜかはわからないけれど
そんなふうに囁くものがあるのです
三十分であれ 一時間であれ
ポワンと一人
なにものからも離れて
うたたねにしろ
瞑想にしろ
不埒なことをいたすにしろ
遠野物語の寒戸の婆のような
ながい不明は困るけれど
ふっと自分の存在を掻き消す時間は必要です


目には見えないけれど
この世のいたる所に
透明な回転ドアが設置されている
不気味でもあり 素敵でもある 回転ドア
うっかり押したり
あるいは
不意に吸いこまれたり
一回転すれば あっという間に
あの世へとさまよい出る仕掛け
さすれば
もはや完全なる行方不明
残された一つの愉しみでもあって
その折は
あらゆる約束ごとも
すべては
チャラよ

「別冊太陽」茨木のり子より抜粋


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