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素朴な記憶からの提案

ふだんは忘れて生きているような、小さな頃の素朴な記憶について。

家から一歩も出ずスッピンで過ごしていたある日のこと、片付けをしていたら、ずっと置きっぱなしだった「ふきとり化粧水」の試供品が目にとまりました。

使わずに捨てるのももったいないので、顔をふきふき。コットンにはほんのりと茶色い汚れが付着しました。

(皮脂かホコリかな、こんなに汚れるんだな)

その汚れを見ていたら、思いがけず懐かしい記憶が蘇ってきました。

子どもの頃、わたしは週末におばあちゃん家に遊びにいくのが大好きでした。

お家でくつろがせてもらうだけでも十分心地よかったのですが、おばあちゃんはドライブ好きな人で、一緒にお出かけすることもよくありました。

ドライブの行き先は自然のあるところだったり、レジャー施設だったり、大型のショッピングモールだったり。

とにかく、お出かけを終えて家に帰ってくると、おばあちゃんはいつもメイク落としシートで顔をふきふきするのでした。

その所作、今からしてみれば子どもにはないものだったので興味をそそられたのでしょう。わたしが思わず見とれていると、おばあちゃんがぺらっと一枚、シートを分けてくれました。

小学生だからメイクはしていないけれど、ふきふきするとそれなりの”茶色い汚れ”がとれて、満足しました。

それ以来、お出かけから帰ってくると、一緒に「メイク落とし」をすることが恒例に。

(一日ふつうに過ごしただけで、こんなに汚れるんだな〜)といっちょまえなことを思いながら、さっぱりとした気分になれるのでした。

おしぼりで顔を拭くおじさんとはどう違うのだろう!

それはまぁ置いといて、あの時のわたしはとても幸せだったと思います。

子どもに関わる仕事をしていると、”何か特別な良いこと”をしてあげたいと思うときがあります。

でも、消化が追いつかないほど与えてばかりなのも考えものですね。たとえ良いこと・楽しいことであっても、子どもは疲れてしまいます。

だったら、小さい頃は”なんでもない普通のこと”をせっせと繰り返すほうがいいのかもしれません。

「いつも同じ」があるからこそ、自分自身や季節の移ろいに敏感になれるし、些細なことに喜んだり驚いたりできます。

退屈な、ボーッとする時間もないと、想像力や自ら生み出す力の出番がありません。

ちょっと冒険してみようと思えるのも、いつでも帰っていける場所があるからこそ。

”なんでもない普通のことの繰り返し”は、きっと子どもの感性や自信を養うことにまでつながっていると思います。

サポートしていただけたら、毛糸を買って何か編みます☆彡