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形は動きから生まれる

いつも、通勤にかかる1時間でせっせと「昔話を語る」練習をしているのですが、「どうすれば子どもたちにきちんと伝わるかな〜」というつながりで、授業の進行をイメトレすることもあります。

この間は、「詩に合わせた動き」をイメトレしながら、みんなが習得しやすくなる見せ方を考えていました。

そんな時、ふと込み上がってきたのが

形は動きから生まれる

という考え。

以前、授業でお手玉を使ったアクティビティをしたときのことを思い出しました。

輪になって立ち、わらべうたをうたいながら、〈右・左・右〉〈左・右・左〉のリズムでお手玉を隣の人に渡していく。(三学期なので、一年生にしては少し難しいことをしました。)

誰でも最初はできないのですが、できないフラストレーションに弱い子もいます、せめて「頑張ったらできそう」な感じを見せてやらなくてはいけません。

そこで、〈右・左・右〉〈左・右・左〉の動きをするときに、∞を描くように、その形が浮かんで見えるように、ほんのちょっと大げさに動いてみました。

すると、その不器用な子にすーっと入っていきました。お!入った!!できた!!!その瞬間がありありと見えました。

形は動きから生まれる

真実すぎて逆に意識しにくい。

最初にこのことを意識したのは、シュタイナー教育の教員養成においてです。

「分かる」という過程について、また、十二感覚について学んでいるときに、

人は形を捉えるとき、運動感覚を土台にしている

という話題が出てきました。

なるほど!と思いました。児童発達を学んでいる方にはなじみ深い考えだと思います。

自分が赤ちゃんだった頃、さっぱり覚えていませんが、きっと、最初は三角とか丸とか四角とか、ものに形があるなんてよくわかっていませんでした。

でも、なんでもかんでも口の中へ入れて、舌を動かしているうちに、目でお母さんの姿を追ったりするうちに、線や形を捉えられるようになったんだと思います。

(そういえば、どんぐりを飲み込んでしまってオムツから出てきたんだという話をよく親に聞かされたなぁ)

人間における形は〈身体〉。動きは〈行動〉。〈行動〉が、形である〈身体〉をつくっている。〈身体に〉働き返している。

というわけで、子どもを深く理解したいとき、シュタイナー教育では「子どもの観察」を行うことがあります。

いつもどんな歩き方をしているかな?どんな癖があるかな?指先は器用かな?どんな発言が多いかな?(内面の「動き」も観察。)

手足は長いほう?頭の大きさは?ほっそりしている?ふっくらしている?

形と動きの関係性をみていくと、おのずと、その子が生まれ持ってきたものもなんとなく浮かびあがってきます。


それが、子どもへの詩をつくるときの手がかりにもなっています。

ここからは、仕事とは関係ない妄想が広がりました。

形は動きから生まれる
成果も行動から生まれる?

形にいいもわるいもない
三角は三角、四角は四角

成果にもいいわるいはない
人によって「好み」が違うだけ

人と自分を比べてしんどいときはこう考えることにしよう。

それから、もっと視点を引き上げて考えるならば。

自分の生まれ持ってきたもの、神さまのはからい的なものが知りたいんだったら、自分の行動や成果物、日々の出来事を振り返ってみればいいんじゃない?

だから、人は日記を書いたり、振り返ったりするのか。

わたしは日記を書いたり、人のを読んだりするのが好きなんですが、その理由がやっとことばにできた気がします。

この気づきも、最近日記をサボりがちなわたしへの、神さまのはからい?

よし、今日も形を残そう。noteに書こう!

サポートしていただけたら、毛糸を買って何か編みます☆彡