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生きるためのアート

今日は授業のない日!明日は雨が降るそうなので、貴重な晴れの日を楽しんでいます✌️

少し前のことを振り返ります。

先日、職場で懇親会がありました。普段はなかなか顔を合わせられない方とも、ラフにお話ができる貴重な機会です。

わたしはあるアーティストのご夫妻とお話しさせてもらったのですが、お二人の表現との向き合い方や信念を聞かせていただいてからというもの、なんとも言えない余韻が心に残っています。シュタイナー風に言えば、静かなつもりが残った?

ここに記しておきたいと思います。

質問:「作品を発表し続けることは、苦しくないか?表現が湧いてこなくなったりとか」←同じく美術畑の夫がした質問。

答え:「作品作りは苦しくない。形にしたいものはたくさんあって、むしろ時間が足りないと感じる。」「苦しいのは、お金との付き合い方。そもそも表現はお金とは関係ないと思ってはいるが、生活もあるから、割り切って売れる系のことをやる必要もある。その割り切りが苦しい。」「売れることが上手な人もいて、アートってなんだろうなとも思う。だけど、自分たちは家族を成り立たせるためにもアートが必要だからやっている。」

家族を成り立たせるため・・・というのは、家族を養うとか生計を立てるという意味ではなくて、おそらく「家族であることをやめないため」という意味。(家族のあり方を作品化されているので。)

なんだか、切実さが伝わってくるようでした。

その切実さ、わたしにの中にもあるなぁ〜と。何かつくっていないと死ぬ、表現していないと死ぬ。という感覚。

「芸術家」を看板に生きてはいないので、なかなか理解されにくいとは思いますが。わたしの場合、もう少し、生活の中にあるさりげな〜〜〜い表現を欲しています。

例えば、小説を書きたいとは思わないけれど、日記やエッセイなら書こうと思う。絵を描きたいとは思わないけれど、持ち物に刺繍をして飾ろうとは思う。そのような程度の表現。

働くことも、表現だと感じています。

好きを仕事したいってことではなくて。どんな職業であっても、自分らしさのにじむ余地が欲しいという感じ。じゃないと、人と人とが出会う意味がよくわからなくなってくる。

時々、生活のために割り切って働くことがすごく難しいと感じるのは、自分らしく働けないのなら、生きていたくないとすら思ってしまうからじゃないかな〜。

死にそうになってよくわかりました。わたしは生存のためにも、アート要素のあるちぃちゃなオルタナティブスクールで授業をすることが必要らしいです。(なんて生息域が狭いのだろう。)

天職とか使命と呼ぶには、あまりにも素朴な営みを指していると思います。職業や業務名では言いようのない、なにがしかの働き(ピース)が、自分の中には必要。

そのピースってなに?

これからも自分に尋ねていきます。

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