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循環するからこそ、部分的でOK

自らを捧げすぎる傾向があるので、まず「自分」まず「お金」と思って働くことを覚えてみたいです。「他者」や「やりがい」も引き続き大事にするのですが、その優先順位やバランスを変えてみます!

こう言ってみると、「自分だけのため」や「お金だけのため」にはなかなか働けなかった過去が思い出されます。それこそ、大切ななにかを犠牲にしてしまう気がして、ひどいときは引きこもったりしていたのですが。要は、偏っている状態がまずいんですよね!

わたしの場合は「自己犠牲」の側に偏りがあるので、その反対を心がけて、調整をはかってみたいのです。

そう考えるきっかけになったのには、2つの出来事がありました。

「自分を安売りしないでね♡」by ニクヨさん

先日もお金のハナシの中でシェアしましたが、最近、肉乃小路ニクヨさんのお金の相談所(動画)にハマっています!

元金融マンの女装家ニクヨさん。現実的基盤の側から「自分を大切する方法」について学ばせていただいております。(すっごい愛にあふれた悩み相談動画ですよ〜。)

収入上げてくぜ〜〜〜!!っていうつもりがなくても、せめて、身を削ることで成り立っている部分には、気づいて対処していかないとなと考えさせられました。(自分を大切にするという意味で)

いまはここだけ!でOK

2つ目は、学校の保護者さんたちとの勉強会にて、シュタイナー教育のテキストを読み進めていたときのことです。

7歳までの子どもたちにとって、こころの教育はからだの教育(こころで感じたことがそのままからだに降りていく)という文脈で、こんな一文がありました。

そうすれば、誕生から歯の生え変わるまでの成長のためには、唯物論者として、素材だけに働きかけることが、子どもの魂にとって大切であることが理解できます。

「感覚の教育」『人智学的教育学とその諸前提』第一講(1924年)R. シュタイナー

うわ〜〜〜、誤解を招きそうな切り取り方!この記事だけでその心を説明するのはとても難しいです。

「唯物論者として」っていう表現にぎょっとする方も多いのではないでしょうか。(わたしも)

でも、この表現の裏には、この時期の子どもの「こころ」や「からだ」はひとまとまりにつながっている、という大大大前提があります。(もっというと、この時期「からだ」の側からしかはたらきかけられない理由があります)

というわけで、この一文にちょっと影響を受けまして、

この時期、直接はたらきかけるのはこの部分だけ。でも、そこを通して全体にも作用する。循環する。

という考え方をしてみたくなりました。

まず「自分」まず「お金」って心がけてみるけれど、本当にそれだけのためにはなりえない。そこは安心して取り組んでみようと思います。

再び「ぜったい幸せになるぞ〜」

そういえば、もっとずっと前にも、子どもたちが「もっと自分を大事にしてね〜」ってサインを送ってくれていたことを思い出しました。

ということは、わたしが誰かにしてもらったことも、子どもたちに流れているということですね。良いものも悪いものも。

みんなのために自分の幸せを選ぼう。ドラマや修行を好む古い自分とはさようならして、これからは心穏やかに過ごせる環境や人間関係に突き進もう、と思いました。


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