終わりのない怖れのこと
秋の虫の鳴き声が聴こえますね。
さてさて、今日は仕事で、月に一度の寄り合い(午前)と年に数回の学校説明会(午後)がありました。
担任という立場で見たこと、聞いたこと、感じたことを、人前で、自分のことばで話すということをたくさんした1日でした。
わたしは人前で話すことが得意ではなく、自分の意見を表明することにも臆病です。
こういう仕事をしている限り、考えを述べたり、代表して自分が全体を説明したりする機会はたくさんあるのですが・・・何度経験したって、なかなか慣れることはありませんね。こういう日は、決まってどっと疲れてしまいます。
今日に限っていえば、すごく前向きな話し合いができたし、新たな出会いもあって、良いことだらけだったのに!
どうやら楽しい・楽しくないは関係なく、それが大勢の(といっても20人程度)人との関わりだと、胸がざわついてしまうようです。
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どうしてそんなことになるのだか、よ〜く自己観察してみると。自分への絶え間ないダメ出しが原因だとわかってきます。
人のちょっとした仕草や発言から、
「ちょっと偉そうだったかな」「嫌な想いをさせたんじゃないか」「あのときあんな風に言わなきゃよかった」等々
考え込んでしまうんですね。慮りすぎて。(第6チャクラが開きすぎているらしい)
立場上、意見が求められることはたくさんあって、頑張ってことばを発することはできるようになりましたが、その意見が自分で思っている以上に尊重されたり、物事の決定に影響したりするのを見ると・・・誰も文句は言っていないのに、どぎまぎしてしまいます。
やっぱり、わたしは影響力や権限を持つことがまだまだ怖いようです。
それは、長らく「犠牲者」のポジションを取ることで生き延びてきたからではないかなと思います。
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もしかすると、立場はあまり関係ないのかもしれません。ただ上も下も、強も弱もなく、ただひとりの人間として素直に答えたらいいのだと思います。
他に代わりのいない〈わたし〉の考え。オリジナルな、ユニークな意見である必要はありません。ただ〈わたし〉が感じていること、大事にしていることを、〈わたし〉を代表して答えたらいいだけです。
困ったのは、その答えがわかるのはこの世でたった一人、〈わたし〉しかいないということ。その寂しさや頼りなさといったら。
これまではその孤独感にフォーカスしきりでしたが、よく考えてみれば、ひとりぼっちなのはみんな同じですよね。その意味では、目の前のひと一人一人が仲間です。
そんなことを想ってみると、なんだか率先してやさしくありたくなるし、落ち込んでいる場合じゃないと思えてきます。
弱いんだか強いんだか。
こうしてまた、怖くなくなるカードが貯まってゆく今日この頃です。
◆嫌われることでも貢献できるという話
◆表現者であることが助けになるという話
◆苦手(怖れ)がギフトを隠しているかもという話
◆「違う」ことは怖れではなく、本来的には喜びだという話
◆勝手に人を悪者にしない+向き合い続けたら大丈夫そうという話
◆いつかの自分を助けるための「準備」を大切にする話
◆人生に対する責任や覚悟がやさしく呼び起こされた話
サポートしていただけたら、毛糸を買って何か編みます☆彡