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ケニア国連大使が今、世界へ届けることば(日本語訳)

■ロシアのウクライナ侵攻より


(ケニア国連大使のことばをすぐ読みたい方は目次で飛んでください)

現在までに継続して起こっているロシアのウクライナ侵攻と
それをめぐるウクライナ側の自国の存続をかけた国家総動員での軍事衝突は、予測されていた中でも最悪の状況を今なお、突き進んでいるように見えます。


仕掛けた側であるロシアのプーチン大統領にとっても、
かなり想定外の方向へ進んでいる(と思われる)ことで
もう、振り上げた拳のおろしどころを完全に見失った印象がします。


誇り高い男が拳を下せないとなると、
子供の頃にゲームで大敗した1人が逆ギレして
突如感情のままリセットボタンを押すという時の姿を思い出してしまうのですが、諸外国が制裁網を広げていくごとに、その緊迫感は増しているように感じます。


そうなると本当に今回のことは、
「世界中が負ける」結末の可能性すら想像させます。


そこまでか、そこからなのか?
世界中が今想像し、恐れていることは
第三次世界大戦へ突入するかもしれないということと、
中国の香港・台湾(日本では北方領土・尖閣・竹島も)をはじめとした
武力による侵略を許す展開へ発展していくかもしれないということだろうと思います。

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出典:Sankeibiz



また、日本人にとっては
ウクライナの国家総動員という現状を実際に目の当たりにし、
今タダ同然に享受している「平和な日本」という国家の状態が、
どのように、誰の想いによって守られ、存続し得た結果なのかを
改めて考えさせられる機会ともなりました。

今たまたままだ平和な日本だって
いつ再度、侵略目的で隣国から攻撃されるか分からないという肌感は
今となっては、いくら平和ボケと言われている日本国民であっても
誰しも持っているでしょうし、


それが結局、
①国民が頑なに信じて守り続けた美しい「9条」の元、起こっている頼りない現実であり成果であるということ
②過去に核を放棄するという「平和に向かって、あるべき美しい決断」をしたウクライナが今、侵略戦争に巻き込まれ、国家存続の危機に瀕しているという事実
③脱炭素というキレイゴトがドイツ・イタリア・欧州に及ぼした今・・・・。


「守れる強さ」を伴わない「美しさ」というものは幻想であって、それがひとたび崩れた時にもたらすあまりにも凄惨な現実について、知らなければならないと改めて感じることとなりました。

日本国憲法の美しさにいつまでも感動してる場合ではない、なぜなら、憲法はポエムではないし、そうあってはならないから。

美しいポエムが人々を惑わし、国家や人々の安全を脅かして、国土に戦禍を及ぼすのなら、「美しさ」とは一体何なのか?と、私自身、美術大学へ通って、多分「美しさ」についてずっと学んできていたので、本当に考えさせられます。


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出典:tavito.up.n.seesaa.net


こんなこと書いている私も、恥をさらすと、ほんの15年くらい前までは、
「誇らしく美しい日本の憲法は守るべき」と信じて止まない人間でした。その頃の私は法律を学んでおり、自分が団塊ジュニア世代女性だったこともあって、「強いものが弱者を支配し、搾取する構造」には結局、正論だとか正義など通用しないという事を社会で何となく感じ始めていたからです。


だから、そういった背景を抱えている人間にとっては、憲法はなんというか「救い」にもなり、こんな報われない汚れた社会の中でも存在する、ひときわ美しい、守るべきものだという歪んだ力が働くことを私は知っています。


一方で、いま世界中は固唾をのんでウクライナを注目し、
どこまでのことを、どれだけ、いつ、という単位で
やるべきこと、できることを皆が模索しており、
「国家」「平和」「自由」「生きる」ということの原点に立ち返らされています。

同時に、うお座にいる守護星の海王星、木星、そして太陽が
それらの境をみるみる溶かし、想いをひとつにしようとしているのを感じます。(占星学にこの2,3年興味を持っています。)
海王星が正義だとか国家だとか、そういう概念自体の枠組みを壊そうとしているというのをこんな形で見ることになるとは思いませんでした。


■ケニア国連大使の演説(日本語訳)


私たちは、つい世界で力を持つ
大国アメリカ、ロシア、ヨーロッパ諸国、中国、
そして自国の立ち位置やその正義・概念に注目しがちですが、

今回、開戦直前のニューヨーク国連本部(2/22 国連安全保障理事会 緊急会合)でのアフリカのケニア国連大使(マーティン・キマニ氏)のスピーチがとても印象的だったので、ここにご紹介します。

和訳されているものがほとんど見つからなかったので、忙しくて時間をかけて読めない方も多いのではないか?と思い、日本語にして引用しました。
是非、読んでみて下さい。


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今回の事態は私たち アフリカの歴史を思い出させます。
ケニアやほとんどのアフリカ諸国は、帝国時代の終わりに生まれました。私たちアフリカ諸国の国境は、自分で引いたのではありません。ロンドンやパリ、そしてリスボンなど植民地支配した国の首都で引かれました。引き裂かれた国々への配慮などありませんでした。今は、すべてのアフリカ諸国の国境を越えて、深い歴史と文化そして言語が共有されています。

アフリカ諸国が独立国になった時、もし民族や人種や宗教の同質性に固執していたら、人々が血を流す戦争が数十年後の今も続いていた事でしょう。
しかし、私たちはそうしませんでした。受け継いだ国境を受け入れたのです。政治的、経済的そして、法的な統合を目指すことにしたのです。

危険なノスタルジアに基づき、過去を振り返ってばかりの国をつくることはせず、多くの国や人々がまだ知らない「もっと偉大な何か」を目指すと決めたのです。私たちはアフリカ統一機構の規則や国連憲章に従うと決めたのです。国境に満足しているからではなく、「平和の中で生まれる偉大な何か」のためです。

かつての滅びた帝国に起源を持つ国々では、人々が帝国時代を思い出して、隣国との統合を求めて声を上げることがあります。これは十分理解できます。かつての兄弟たちと一緒になって、同じ目的を持ちたくない人などいません。しかし、ケニアは武力によってそうした願いを叶えることに反対します。

私たちは人々を支配したり、抑圧することはせずに、滅びた帝国の残り火から自らの国を回復させなければなりません。

民族主義や自国拡張主義は、いかなる場合でも拒否すべきです。
民族的、人種的、宗教的あるいは文化的な理由も明確に拒否すべきです。ケニアはドネツクとルガンスクの独立承認に重大な懸念と反対を表明します。そして、過去数十年における「強国」の振る舞いも強く非難します。国際法を軽視し違反する安保理の国々も非難します。

「多国間の協調主義」は今、死の淵にあります。この考え方は、今日においてもずっと攻撃され過去においても「強国」によって攻撃されてきました。

私たちを多国間主義を守る規範の元に再び結集させるよう求めるにあたって、私たちは国連事務総長を一致して支持するべきです。そして、平和的手段での問題解決に取り組むよう求めるべきです。

ウクライナの国際的に承認された国境と、領土的一体性を尊重するよう求めます。


私は、ケニア国連大使のような聡明な人間ではないので、このスピーチの真の意味をきちんと理解できるようになるまでに、まだ多くの時間がかかるように思います。

けれども、このスピーチが、今の問題で注目されている欧州、米、露、日本各国代表のどんな意見よりも崇高で、原点として戻るべき本質的な美しさをもった考え方であるということは、どこか言葉にできない自分の感受点が捉えている気がします。


そして、こうした崇高な考えに則った、成熟した秩序ある世界を維持することを目指していくにしても、結局、この美しさを成立しうる「強さ」というものを各国が備えていく必要があるのかもしれません。


なぜなら、2022年という時代においても、
理性では解決できない世界戦争というものがこうして起こり得るからです。

私は、美術大学時代に憲法の講義のレポートで、ある時、戦争についてのテーマを提出し、担当教授がこんな風にコメントを寄こしたことを思い出していました。

今のような成熟した社会で、世界戦争が起こることはまずあり得ない(以下、失念)

そのコメントを受け取った当時に抱いた、不思議な違和感。でも、教授は私より数段この分野の勉強をしている人なのだから、きっとそういうものなのだろうと片付けた自分。


けれども、あの時の「違和感」が今現実になっていることを考えると、そうした違和感のひとつひとつを丸投げしないで、自分の目で丁寧に選んでいくことが、自身にとっての力、防衛力であり、美しさと共存するための唯一の手段なのかもしれないと今日、感じます。


ウクライナで闘う人々、ウクライナの女性、子供たち
ロシアで闘う人々、ロシアの女性、子供たち
中国で闘う人々、中国の女性、子供たち
アフリカで闘う人々、アフリカの女性、子供たち
日本で闘う人々、日本の女性、子供たち
世界で闘う人々、世界の女性、子供たち

世界で家族のために戦場へ向かう男性たち

世界が、安心して希望ある明日を迎えられる日が
やってきますように。


稚拙な文章で、祈る事しかできない無力な人間が
ここまで申し訳ありませんでした。
私は私の出来ることをやっていきます。

頂きました活動費は、クリエイターとしての活動費、年間収益と合算し、一部を日本の子供たちを支援するための寄付金として使わせて頂きたいと考えています。