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「似顔絵」

「聞いてくださいよ」
 入社二年目を迎える営業社員、兵庫が口を尖らせている。
「週末に契約する客、毎日質問送ってくるんです」
「まぁまぁ。住宅購入は初めてのことばかりで不安なんだよ。根気よくいこう」
「店長はストレス耐性高いっすよね」
 ふくれっ面の兵庫を前に、上一社不動産店長の上野優はクスっと笑ってデスクマットに挟まれた一枚の紙を指さした。その紙には、クレヨンで描かれた女性の姿があった。
 
◇  ◇ ◇ ◇ ◇

「書類の不備があった? 手間取らせんな!」
 アパートの玄関先に、昨日建売住宅を契約した菅野の怒声が響く。その後ろで、菅野の五歳になる娘、唯の怯える姿があった。
 菅野は上野に対して横柄な態度を取り、すぐに声を荒げる。契約前から苦手なタイプのお客様だな、とは思っていた。

 そんな胃が痛くなる案件も、引渡しを終えた日から一週間が経とうとしていた。
 プルルル……
 デスクの隅に置かれたスマートフォンが鳴る。電話の主は建売住宅の売主だった。
「補助金の関係で署名をもらい忘れた書類があるんです。菅野さんの署名、もらってきてくれませんか」
 
 夜の帳が下り始め、ポツリポツリと置かれた街灯が照らす道を歩く。静けさの中、少しばかり聞こえる虫の音が鬱陶しい。
 コインパーキングから十分ほどで菅野邸が見えてきた。
 駐車場に菅野の車はない。緊張が解ける。だが、それも束の間、一筋の光が少しずつ大きくなって向かってきた。
 その光は菅野邸の駐車場におさまっていく。胸がチクチク痛み出し、吸う息は途端に苦くなる。
 
 車のドアが開き、作業着姿の菅野が姿を見せた。
 小さく頭を下げるその姿からは、あの時のような威圧感は感じられない。上野はふっと肩の力が抜けた気がした。
 
 コツン。コツン。
 菅野の後ろから何かを叩く音がする。
 その音に反応した菅野は、口元を緩め、振り返って手を振った。菅野の娘、唯がカーテンをめくり、掃き出し窓をコツン、と叩いている。
「車に気づくと、ああやって迎えてくれるんですよ。それだけで疲れが吹っ飛びます。あ、署名が必要な書類があったんですよね?」
 
 菅野の後ろをつき、玄関へ向かう。シリンダーに鍵をさし、玄関扉を開けると唯が音を立てて走ってきた。
「ただいま。お姉ちゃん来たぞ」
 そう言って、唯を抱き上げる姿は優しいパパだ。上野の手前もあってか、菅野は照れくさそうに笑う。その顔を小さな手でペタペタと触る娘の唯。
「おい、お姉ちゃんに渡すもの、あっただろう」
 ゆっくり下ろされ、父の手から離れた唯は、ポケットから丁寧に折られた紙を取り出した。小さな手から、上野はその紙を受け取る。
 透けて見えるのは……絵? 
 その紙を広げると、カラフルに描かれた女性が視界に飛び込んだ。
「お姉ちゃんはもっと美人だぞって言ったんですけどね。ハハハ……。あの、上野さんにはご面倒をかけたと思います。でも、上野さんのおかげで家族も喜んでくれています。本当にありがとうございました」
 菅野が頭を掻きながら笑うと、つられた様に唯もはにかんだ笑顔を見せた。
 
 ポツリポツリと置かれた街灯が照らす帰り道。虫の鳴く音が心地よく身体を包んだ。

◇     ◇ ◇ ◇ ◇

 私たち営業が辛くなった時に救ってくれるのは「お客様の声」だよ。何度も助けられたんだから。
 デスクマット越しに、唯からもらった手紙をなでながら呟く。
「店長、何か言いました?」
「んーん。何でもない。さ、仕事しよ」
                                end

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