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シン・エヴァンゲリオン劇場版感想(ネタバレあり)

初日、仕事おわりの後のレイトショーで2時ぐらいまでかけてシン・エヴァ見てきました。

この感想はネタバレを含めた感想です。
こんな辺鄙な感想を見に来る人がどれほどいるかはわかりませんが、これから見る予定でまだ見てない人は見てから読まれることを推奨します。

ちなみにですが、これを書くにあたって、あえてパンフレットをまだ読んでいません。他の方の感想も見ていません。
あくまで純度100%の自分の感想となります。




おおよそ、この感想に至った理由を説明していく内容となっています。
世界観考察や謎考察などといったものは他の頭の良い方々がいくらでもいると思いますので、自分はここに集約するように感想を書こうと思います。

昔、自分がツイッターやmixiの日記で新劇エヴァをこう書いていました。

序:僕たちが好きだったエヴァ
破:僕たちが見たかったエヴァ
Q:でもエヴァって、こういう物語だよ?

これにはそれぞれ訳がありまして、

序:僕たちが好きだったエヴァ
これは新しい要素はあるもののTV版エヴァンゲリオンを今の作画演出でパワーアップさせたものであるということでエヴァの面白さを再確認してもらうと言った内容だと感じたからです。

破:僕たちが見たかったエヴァ
ここから原作の流れを組みながらも大きく変化が加わります。三号機に乗るのがアスカになり、男の戦いで塞ぎ込みがちで後ろ向きだったシンジが少年漫画の主人公のように勇気を振り絞り絶望的な展開を打開する。鬱屈した物語だった旧作では見られなかった僕たちが見たかったエヴァンゲリオンだと感じたからです。

Q:でも、エヴァってこういう物語だよ?
この作品から、僕たちが知っていたエヴァンゲリオンから大きく外れます。知らないキーワードがたくさん増えます。誰もシンジに優しくしてくれません。提示されるのは謎、謎、謎。そして悪趣味とも取れるシーンの連続です。この作品は賛否両論で、破のような展開を求めていた人からは特に批判的な意見が出ました。それと同時に考察が加熱し、散りばめられたキーワードが何か?といった考察や、それを元にしたオタク間でのトークが始まりました。この流れは旧作のエヴァンゲリオンにあった
A「あれ、意味わからなかったんだけど何だったの?」
B「ああ、あれはこういう事なんだと思うよ。」
といった会話の流れを作ることになります。これはエヴァンゲリオンという物語が大きくムーブメントを作り上げた要素であり、エヴァという作品の本質を抽出したのがエヴァQという作品なのだと自分は思っています。
なので、エヴァという作品はこういう作品なんだよと提示し、これでいいの?と視聴者に問いかけてきていると感じているのでこういった題を付けました。
ほら、解説が長くなったでしょ?これがQです。

さて、このシン・エヴァンゲリオンへの個人的なサブタイトルを付けるとするならば
「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」
となります。
うう、キャッチコピーそのまま出してしまうのオタクとして悔しい。
悔しいけど本質をこれ以上なく捉えて、これ以上のキャッチが思いつきません。

エヴァに熱狂したオタクたちが、全てのエヴァにさようならと感謝して別れる物語が、このシン・エヴァンゲリオンなのだと思います。
そして、シン・エヴァは別れの物語です。
アヤナミに、ミサトさんに、冬月に、ゲンドウに、そしてエヴァンゲリオン全てに別れを告げます。
オタクの考察や謎の深みにハマっていく無限ループ、これからの解放を目的として作られた物語なんだと思います。
この別れは永遠なのか?
それは違うと作品内でも告げられています。
『さようなら』は『また、会おうという願い』であると語られるのです。
これでエヴァンゲリオンはお終いです。オタクを縛っていたエヴァの呪縛も全て解きます。でもまた、会おうよというのがシン・エヴァンゲリオン作品の本質なのだと思います。

それと同時に、未来には我々が想像しえなかったものが広がっていくことを提示します。シン・エヴァでは最後、シンジとマリがいい関係になっていたり、ケンスケとアスカが結ばれるような描写が書き加えられています。
これはQまでの描写ではおおよそ考えられない内容で、予想し得なかった未来なのです。

エヴァとお別れしてもきっといい出会いがあるよ。といったメッセージが込められているのだと自分は感じました。

旧作のエヴァンゲリオンってどこかオタクへの絶望がある気がして、旧作劇場版で最後に出されたのは「オタク共はどうしようもない俺(庵野監督自身も含みます)もお前もみんな死んじゃえ」みたいなメッセージが込められている印象を自分は持っています。
それに比べると「別れの時だけど、未来は広がっていくよ」と繋げるこの作品はエヴァを新しく作り直した上で前へ進む物語なんだと思います。

そして長くなったQからシンへの期間もエヴァとオタクたちが別れることができるようになるまでの時間だったのかなぁと思うのです。

はい、ここまではシンエヴァへの感想です。

さて、じゃあ、『オタクとしての庵野監督の手の混んだ自殺』って何だよ?という話に入ります。
エヴァと別れるために題材にしたのは何だったのか?と考えるとやはり庵野監督は自身をモデルにしたんじゃないのかな?と思うのです。
となるとエヴァらしさと同時に日本屈指のオタクとしても知られる庵野監督の好きなものが詰め合わされた作品になったんじゃないかなーと思うのです。
なので自分が好きなものと別れる話を書いていく風にしたんじゃないかなと……。おおよそ旧作エヴァに出てこないだろうブンダー(Nノーチラスとヤマトの二重オマージュ)を出したり、ジブリっぽい牧歌的な街を出したり、戦艦による空中戦をやったり、イデオンのラストシーンの海のオマージュシーンをいれたり……正直この辺りを書き始めるとキリがないし、自分が全部(というか半分も)を拾えるわけでもないので、この辺でキリますが、庵野監督のオタクとして、クリエイターとしての人生のメタファーが詰まっているように感じたのです。
それで、それら全てとお別れをする。つまりオタクとしての自殺をするといったように感じたんですね。
これが『手の混んだ自殺』と感じた理由です。

さて、自分はオタクとしての自分とお別れできるのか?
まだ、もう少しオタクとして溺れていたいなー。

さーて、パンフ読むぞ(明日仕事


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