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私のランニングライフについてお話しします。

こんにちは。

今回は、私の趣味のひとつ「ランニング」についてお話ししたいと思います。

◉増え続けるランニング人口ーーーそのワケは?

日本のランニング人口(年1回以上の実施率)は、2002年の483万人を底に増え続けて、2018年には964万人となっています(『笹川スポーツ財団「スポーツライフに関する調査報告書』(1998~2018)による)。16年でじつに倍ですね。

東京マラソンの第1回が行われたのが2007年2月ですから、ちょうど、マラソン人口の増加を受けて開かれるようになったといえるでしょう。ちなみに第1回大会のフルマラソンの参加者は77,521人。コロナ禍前の2019年の大会のフルマラソン参加者は300,271人。およそ4倍になっています。

マラソン大会の数も激増しました。

『「10年前(東京マラソンのスタート時)は800だったが、現在は2300もある」「インターネットのランニングサイトに登録される大会では1800超、小さな大会を合わせると2800」とも聞く。10年で約3倍に増えたといえそうだ。』(東洋経済ONLINE「市民マラソン大会」激増の知られざる舞台裏 高井 尚之 2018/02/14)

さて、このようにランニング人口は増え続けているわけですが、そのワケはなんでしょうか? 私は、「始めるときのハードルが低い」ことではないかと思っています。

もちろん「走るのキライ」な方は多いでしょう。「やってみたけどツマラナイ」「キツイ」ので続かない、という方もたくさんいると思います。まあしかし、キツイのはどんなスポーツにも言えるわけで、「キツくない」スポーツってゴルフくらいしかないんじゃないかな。

えーと、なんでランニングがハードルが低いのかということでしたね。それはまず、道具が少なくてすむ(最低限シューズとウエアでオッケー)こと。あ、いま「水泳なら水着だけだよ」と思ったあなた。甘い。あともうひとつ「競技場が必要ない」こと。じつはこれがハードルが低いことの最大の要素でしょう。コートとかゴールとかプールとかいらないんだもん。そこへ行かきゃならない、ってことないもん。もう、一歩外へ出ればそこが競技場。あ、あと審判も必要ないですね。

以上のような理由が、ランニング人口が増えているワケのひとつだと思います。

ごく最近の話をすれば、コロナ禍のせいでしょうか、いっそう走っている人が増えたように感じます。

◉ランニングという修行

さて、ハードルの低さはいいんですが、低けりゃ低いなりの大変さというのがあるのですね。

「スポーツ」である限りは「記録」と切り離せません。水泳や陸上なら100メートル何秒とか、対戦型スポーツなら、勝敗やら点差やら。マラソンだって公認コースで2時間何分何秒とか。記録があってこそ、モチベーションもあがる。

これをね、ランニングだと一人でやならきゃならんのですなあ。

「あの道をこう走って何キロ。そこを何分何秒で走ったか。1キロのラップはどうだったか」これを全部一人でやる。いまはスマホアプリがありますから、だいたいのイメージで走れば、GPSと連動して、これらの数字はピタリlogしてくれます。でもね、それこそ東京マラソンが始まった頃は、まだまだスマホ+アプリは一般的じゃなかった。

12年めを迎える私のランニングライフのはじめの頃は、Googleマップで自分でコースを考えて、5キロ、10キロ、15キロのコースを描く。で、1キロごとの大体の目印を頭に入れる。ランニング用の腕時計で計測を始めて、1キロの目印ごとにラップをとっていく。走り終えたらそれをノートに記録して、1キロの平均ラップも計算して記録する。こういうことをやっておったわけです。

専門用語になりますが、ペース走をやるにしても、ビルドアップ走をやるにしても、インターバル走をやるにしても、全部手作業。こういう時代があったわけです。これはもう、ある意味「修行」ですね。求められるのは「自己規律ーSelf Diciplin」。

◉Pain is inevitable, Suffering is optional

一歩外へ出ればそこが競技場といいましたが、ということは、ふだん走るコースは「絶対的に居住地の地理的条件に縛られる」ということですね。もちろん、電車や車でお気に入りのコース、特にトレイルランの場合は、そこに出かけていって走る方もいるでしょう。だけど、大半のランナーが自宅周辺を中心に走ってるんじゃないかなあ。

それで、ようやく今回の「私のランニングライフ」の中心テーマ、私のコース設定における地理的制約条件についてお話ししてみたいと思います。前置きが長すぎてすみません。

私の家は、西から伸びている大きな台地の東の端に近い場所にあります。東にそのまま行くと南北に流れる大きな川にぶつかります。そしてこの台地の北側と南側を大きな川に流れ込むように西から東へ小さな川が流れています。つまり台地の南北が川でサンドイッチされているわけです。

ですので、西へ向かって走って帰ってくるぶんには高低差はほとんどありません。しかし、南北へ向かって走ると必ず川を渡らなければならず、川をはさんだ坂を登り降りしなければなりません。東へ向かって走ると、行きは降り、帰りは登り、ということになります。

このような地理的制約がですね、コースを考えるときに大きく影響してくる。坂はキツイんすよ。正直。トレーニングには効くんですけども。

スマホ+アプリがない時代は、極力まっすぐ行ってまっすぐ帰ってくるコースを走っていました。距離の目安が付けやすいから。けれども、スマホアプリの登場でコース設定の自由度が増したのはいいのだけれど、こんどは坂を避けるのはむずかしい所に住んでいることを痛感するはめになったわけです。

坂は本来、ランニングのトレーニングとして最適ですから、積極的に取り入れたいところですけれど、つい避けがちな自分がいます。

「短い距離を周回すればいいじゃん」おっしゃる通り。だけれども、これはこれで退屈なんですね。心が折れる。メンタルを鍛えるのにはいいのかも知らんけど。

たとえば、フルマラソンの大会でも、よく河川敷を行って帰ってくるレースがあるのですが、あれも心が折れる。景色が変わり映えしないし、しかも、帰りは行きと逆の景色を見ながらだから「あとまだこんなにあるのか〜」という気持ちと戦わなければならない。

Pain is inevitable, Suffering is optional. 村上春樹さんの『走ることについて語るときに僕の語ること』の中で紹介されいる、あるランナーの言葉です。彼はレース中、このマントラを心の中を唱えながら走っているという。

「痛みは避けられない、けれど忍耐は自分次第」ーーーこの言葉はもちろん、第一義的にはフィジカルな「痛み」についてのことでしょう。けれども、メンタル、折れそうな心のPainについての意味も半分くらいは(いや、もっとかな)あるのではないでしょうか。

大会のレースだけではありません。ふだんの練習コースだって、自由に設定できるからこそ、ついラクなコースを選びがち。スポーツはキツイもんだ、キツくなければスポーツじゃないと前述しました。その「キツさ」というのは必ずしもフィジカルだけじゃない、メンタルも相当の割合を占めていますね。

しかし、こんなふうに葛藤しながら走ることをやめない自分て、ヘンタイなんじゃないかな、と思うときもあります。中毒にも近い。

でも、多くのランナーが同じようなもんじゃないのかなあ、という期待を込めて今回書いてみました。

おつきあいいただき、ありがとうございました。

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