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さようなら2018(MAMA)


2018年、私は少し大人になった。
へんなのと思っても顔に出さないようなったし、人に自分の考えを押し付けないし、思っていることがあってもそれが余計なことなら、そっと胸にしまうことができるようになった。
私が笑顔でおだやかにしていれば、周囲の人も不思議とそうなる。
私が笑顔をあげれば、たとえ腹の中に抱えたいちもつがあったとしても、ぐっと抑えてなかったことにして、私のために笑顔をくれる。
それはとても良いことで、とてもとても虚しい。
よかったのか悪かったのか分からないことだらけなのに、頭に浮かんだ疑問を整理するための、立ち止まる時間もなく日々は追われるように過ぎていく。


「青い鳥」という童話がある。チルチルとミチルは幸せの青い鳥を探しに様々な夢の国を旅する。青い鳥は何度捕まえても、夢の外に出ると消えてしまう。
そしてその旅の果てにチルチルとミチルは知る。
幸せの青い鳥は、もともと自分たちの身近なところにあったのだと。
この物語のメッセージは、幸せは、もともと私たちそれぞれの心の中にあるということだろう。
空が青くて幸せだし、風が冷たくて気持ちがいいと幸せだし、おいしいごはんを食べることができて、とてもとても幸せだ。
今年、私が欲しかった幸せはそれで充分だっただろうか…。


2018年の元旦、私の好きな人はこんなことを言っていた。

やることすべてうまくいって
夢がすべて叶って
夢がない方も大丈夫です。
まぁ 夢がないこともありますよ。
幸せならいいんです。

“幸福しましょう”と、何度も言っていた。
彼の話す言葉は不思議とほんとうになるから、私はその言葉を聞くたびに、わくわくして、なのにどうしてかとてもとても不安だった。

ゆんぎはその言葉をどんな気持ちでくり返していただろう。
私たちファンへ送ったメッセージは、誰を想って話していたのだろう。


2018年MAMAでBTSは大賞である、Artist Of The Yearを受賞した。
その予想や期待を飛び越えてくる圧巻のステージは、王者にふさわしい異彩を放っていたけれど、これだけのものを作り上げるのに、7人の男の子たちや周囲のスタッフはどれだけの時間と努力を注いだのだろう。
私が応援しなくたってばんたんはすごい。人はみんな平等で、互いに手を取り合い認め合える世界を目指す、新しい時代のニューヒーローだから、私がARMYをやめてもずっと彼らは輝き続ける。そんなふうに思っていた。
だけど、私の大好きな男の子たちは、そのどうせもらえるだろうと多くの人が思っていたトロフィーを手にした時、予想外の涙を流していた。


ジンくんはスピーチの中で、今年の初め、とても辛い状況の中で解散するかしないかをメンバーの中で話しあったと言っていた。
いつも大きな声でふざけて言う『アーミーーーー!!!』は、短く少し震えていて、声を震わせながら話してくれた出来事はとても衝撃的だった。

私が何もしなくても、万が一、飽きて別の誰かに心変わりしても、ずっとどこかで輝き続けるはずの防弾少年団が、いなくなるかもしれないほどに、辛い思いをしていたのだ。



驚いたと言えば驚いたけど、ジミンくんも“今年の初めごろ”の話を以前にしていたし、何かあるんだろうとは感じていた。たくさんの疑問と不安の点と点が繋がっていくみたいに感じている。

最初に異変を感じたのは、AMAの画像を観ている時だった。
ゆんぎは爪を噛む癖があるけれど、その時、爪はいつも以上に短くて、指まで痛々しくなっていた。何がそんなに彼を追い詰めるのだろうととても心配だったけど、2018年のFESTAのコンテンツでAMAのステージの後、怖くてシャワーを浴びながら泣いたのだと、笑いながら話してくれて、過ぎた思い出になったのならと少し安堵したのを覚えている。


“やっぱり。”
何かが明らかになるたびにそんなことを思う。
気のせいだったらいいのに、イタいファンの妄想だったらいいのに。
やっぱりあの時何かあったんだ…と、少しずつ小出しに解き明かされていく謎は、その度に心配事を増やしていく。

ゆんぎがボンボヤS3で一通のメールを受け取ったときの小さく驚いたような声が忘れられない。
それは、いつか来る別れの時を、心のどこかでずっと覚悟していた人のそれだったように見えた。誰が亡くなったのか私たちは公式に聞かされていないけど、彼にとって大切な誰かがいなくなってしまったことには変わりない。
いつかの空港で持っていた暗そうな内容の本は、生きているうちに誰にでも訪れるかもしれない別れの時を、少しでも軽くしてくれただろうか。
去り際にメンバーへ送ったメッセージで、同じく大切な人をなくしたテヒョンくんに「ただただ 楽しんで」と言った優しい声も私の耳の奥に残っている。
ほんの少しだけ、涙をのみ込んだように聴こえたその声で、誰のことを想っていたのだろう?
少し大人びた表情で、だけど明るく笑ってマルタに現れたテテくんの気持ちを痛いほどに感じていたのではなかっただろうか。

ペンミの頃もそうだった。
真夜中、落ち込んでいたことを匂わせる文章と共に“僕たちの存在 ファイティン”と書き込みを残した謎の行動も、いつも以上にすぐにしゃがんでしまうその態度も、私には通常運転ではなく、何かわからない違和感を覚えたけど、人にはいろんな気分の日があるし…と軽く考えていた。
ショックだったのはTearのカムバ期だ。
そこにいるのは私の大好きなゆんぎだけど、もう、ちっともそうじゃなかった。
AMA以来、さほど気にならなかった指の傷が、元気に登場していたし、Vlive中にジンくんが、ゆんぎの態度を「今もしんどそうだけど?」と、少したしなめた気がしたのも気になった。(心配してかけた言葉なのかもしれないけど)
うわの空で何を考えているんだろうと、とてもとても不安だったし、辛いことがあるのなら心が壊れる前にやめてくれとさえ思っていた。


私たちはいつも、大好きな人が何を考えているのかすべてを把握することは難しい。
毎日会う職場の人でも長年の付き合いのある友人でさえも、実はあの時…と、大変だったことを後になって聞かされることも多い。ましてや、私たちは友達でも恋人でもなんでもない。知り合いですらない。私たちは、一方的に大好きなその人たちが今日も楽しい時間を過ごせるよう、ただ祈ることしかできない。

サマパケでグクがゆんぎヒョンに明るくなってくれてありがとうと言った時、ほかのメンバーのニヤニヤした微笑みがとても愛おしかったけど、グクが話し始める前にその場に流れた“気を遣っているような微妙な空気”は、私の気のせいだっただろうか。私はあのシーンを初めて観た時、ちっとも笑えなかったけど、あの一瞬張り詰めた空気の正体の謎も少し時間が経った今、分かったような気がする。


私たちはみんなひとりひとりだ。
自分のことさえ時々分からないのに、他人のことなんてもっと分からない。
たとえその仕草や表情で、手に取るように分かることがあっても相手の心を簡単に軽くしてあげることはできない。見守るしかない時がどうしようもなくある。
そして、大切な誰かを想うあまり、言いすぎてしまう言葉があって、相手を想って飲み込んでしまった、本当はかけてあげるべき言葉があって、人は時々とてもすれ違ってしまう。


少年は7人でひとつ。
運命的に、特別な絆で結ばれたように見える彼らも、私たちと同じ普通の人間だ。
時々は甘えたりぶつかったり、相手のことがよく分かるからこそ腹を立てたり、よく分からなくて飲み込む想いがあるのだろう。
解散まで考えた原因や彼らの中の気持ちのすべてを汲み取ることはできないけど、BIgHitと7年の契約更新を結んだ今年、ふと、自分の未来やこれまでの出来事をふりかえり色々なことを考え直したのだとしたら、それはとても自然なことだろう。
なんでこんなことをやってるんだろう?
こんなことを続けて一体何になるのだろう?
もしも私たちが抱くのと同じ疑問を彼らが抱いたとしたら、そこにのしかかる重さは、ずっとずっと重たいはずだ。



MAMAのスピーチで声を震わせながら話すジンくんの言葉にメンバーたちは涙した。テテくんは訳がわからないくらい泣いていたけど、きっとメンバー間で話し合う時、多くを語らないであろう彼の中に、たくさんたくさん降り積もった言えなかった言葉たちが、あの時あふれ出てきたんだと思った。その後ろで泣きながら笑うナムくんも、冷静にしているようでずっと変な向きで立っていたゆんぎや、素直な涙を流すホソクくんも、テテと同時に泣き始めたジミンくんも、まるでお兄ちゃんみたいにテテを包みこんだジョングクも、みんなみんな辛くて泣いていたんじゃなく、そこに7人で立てることの喜びとかけがえのない兄弟たちへの愛しさを、それぞれがしっかりと噛みしめているように見えた。

投げ出したくて、嫌でしょうがなくて、それでも手放せなかった何かが、諦められなかった期待が、これでよかったのだという喜びを連れてきてくれる夜があることを私は知っている。
7人がこの夜に感じた感情が喜びに満ちあふれた気持ちだったらいい。

そしてジンくんはそんな状況にうけたのか、途中、泣きながら少し笑っていた。
ジンくんのそういうところが、大好きだと思った。



今年のメンバーたちのことを思い出す。
グクがカバーした「All of my life」の歌詞を。
「その時別離ればいい」という歌に込めた想いを。

ゆんぎやジンくんに元気がないように見えたカムバ期に、曇った顔ひとつ見せず、笑顔でおもしろおかしく過ごしてくれたテテくんの大人になった姿を。

I`m so fine, you`re so fineという呪文を唱えて、大きなステージをはじける笑顔で、とてもとても楽しそうに駆け回るゆんぎの姿を。

みんなが大切にしたかったのは、なんだっただろう。
アルバムのコンセプトのように、自分自身を愛することかもしれない。
だけど私は思う。投げかけた優しい言葉や笑顔は、確実にすぐ隣にいる兄弟たちへ向けられていたのではないかと。
アメリカの取材時にジンくんが、友達がいないと言った時、他のメンバーたちは一斉に僕たちがいるじゃん!と騒がしく声をあげた。
だけどジンくんは譲らず、“BTSは家族”だと言い張った。
お互いにさっぱりしているように見えることもあるけれど、すぐ隣で共に走る愛おしい兄弟たちを思いやっていたのではないだろうか。


BTSでいることは彼らにとって重荷だろうか?
心が壊れてしまうほど辛くなるくらいならその前に逃げて欲しいと、私はいつかここに書いたけれど、その気持ちは今でも変わらない。本当はすごくイヤだけど、その時はきっと理解してあげられる。
幸せの青い鳥は、いつもみんなの心の中にいるから、どうかその鳥たちと仲良く暮らしていけたらいい。大好きな人たちが笑って暮らせる明日がくるといい。
大好きな人たちが元気に笑ってくれている世界が当たり前ではないのだと、私たちは一年前に気づいてしまった。慌ただしい毎日の中で逃がしてしまいそうなその気持ちは、悲しくもずっと私たちの頭の片隅にあるのだろう。
大好きな人たちが、元気に笑っていてくれるならそれでいい。
それだけで、私たちファンにとってここは、とても幸せな世界だ。



色々なことがあった。
苦しかったこと、失敗したこと、足りなかったこと。
順風満帆なようで、悲しい別れやたくさんの辛い出来事もあっただろう。

それでも、嬉しい2018年だったとゆんぎは言った。
泣いているみんなの代わりに、両親やスタッフやARMYへの感謝と、明るい言葉を並べて。
グクはこんなことを言っていた。遠い未来に今を振り返った時、今この瞬間が幸せな時期だと思えたらいいと。


ステージの上で7人で肩を抱き合って、何を話していたのだろう。
いつの日か、だるそうにしゃがんでいたゆんぎは、
泣き顔のメンバーたちと肩を抱き合い、ぴょんぴょんと跳ねていた。




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