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坂本龍一×アイドルポップス

坂本龍一

世界的に活動した日本人ミュージシャンである。その音楽性は幅広く、クラシック音楽が根幹にあるものの、民俗音楽、ポピュラー音楽(特にテクノポップ)にも造詣が深かった。愛称は「教授」

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いわずと知れた日本でテクノを浸透させた功労者。世界でも有名な「Yellow Magic Orchestra」、通称YMOのメンバー。

映画「戦場のメリークリスマス」やアカデミー作曲賞を受賞した「ラストエンペラー」、PCエンジンのCD-ROM²ゲーム「天外魔境 ZIRIA」・SEGAのハード「ドリームキャスト」の起動音など多岐にわたって活躍。


1980年代からは「アイドル」への楽曲提供・編曲なども手掛けています。今回は教授が手掛けたアイドルポップスをご紹介していきたいと思います。

坂本龍一×わらべ

70年代後半~80年代半ばまで放送されたバラエティ番組「欽ちゃんのどこまでやるの!」通称「欽どこ」に出演していた高部知子・倉沢淳美・高橋真美の3人によるユニットがわらべ。

1982年に発売されたデビュー曲「めだかの兄妹」は同年の年間シングルランキングで第3位となる大ヒット曲(推定売上枚数: 約88.5万枚)。

「めだかの兄妹」とB面曲「春風の郵便屋さん」の編曲を坂本龍一が担当している。

坂本龍一×ソフトクリーム

1982年にデビューした3人組アイドル「ソフトクリーム」。 所属事務所は渡辺プロダクションが運営する東京音楽学院。

メインボーカルの「遠藤由美子」のソロ作品として発売されたのが「もしもタヌキが世界にいたら」。フジテレビ系列で放映されていたクイズ番組「なるほど! ザ・ワールド」のエンディングテーマとして使用されていた楽曲。

「もしも~」は"2"まで制作されており、いずれも坂本龍一が作曲と編曲を手掛けている。

1993年に「森下由実子」と改名し、ビーイング傘下のZAIN RECORDSより再デビューを果たしている。

坂本龍一×伊藤つかさ

1980年、大人気ドラマ「3年B組金八先生」の第2シーズンに出演。翌1981年、14歳の時に「少女人形」で歌手デビュー。オリコン最高位: 5位 / 推定売上枚数: 36万枚を超える大ヒット作となる。

Re:minderで開催された「80年代アイドル総選挙 ザ・ベスト100」でも上位の29位にランクインしている。

1982年にリリースされたアルバム「さよなら、こんにちは」に収録されている『恋はルンルン』の作詞と作曲を坂本龍一が手掛けている。同アルバムにはYMOの高橋幸宏も1曲提供している。

坂本龍一×中森明菜

80年代アイドルの2大巨頭「聖子と明菜」。ここで語らずとも80年代に青春を過ごした人であれば彼女の凄さは理解されているはず。

Re:minderで開催された「80年代アイドル総選挙 ザ・ベスト100」では堂々の1位である。

坂本龍一が楽曲を提供したのは'93年のシングル「Everlasting Love / NOT CRAZY TO ME」の2曲。Ever~の作詞は大貫妙子、NOT~の作詞はNOKKOが担当している。

坂本龍一×浅野ゆう子

1980年代後半~90年代前半にかけてトレンディドラマで大活躍した女優。浅野温子と共演したさいには「W浅野」とも呼ばれていた。

歌手デビューは'74年と女優としてブレイクするよりもかなり前である。ヒット曲には筒美京平の「セクシー・バス・ストップ」や「ハッスルジェット」など。

トリック新作スペシャル2 ('10)

'80年に発売された「沖縄サンバ」のB面『灼けつく想い』の編曲を坂本龍一が担当している。

この曲は聴いたことなかったのですが、手元に音源はあるのでいずれ聴いてみたいと思います。

所有してるベスト盤に収録されてた!!

坂本龍一×原田知世

1980年代の角川映画に出演していた「薬師丸ひろ子」「渡辺典子」とともに角川三姉妹と呼ばれ映画・主題歌などが大ヒット。紅白歌合戦などの番組にも数多く出演。

Re:minderで開催された「80年代アイドル総選挙 ザ・ベスト100」では15位にランクイン。

'82年に発売されたミニアルバム「撫子純情」に収録されている6曲のうちシングル「天国にいちばん近い島」をのぞく5曲の編曲を担当。(「リセエンヌ」では作曲も担当)


ストリーミングサービスで配信されてない曲が多い…。 個人的に音楽のストリーミングサービスに契約しない理由がこれ。 権利の関係等があるのだとは思うけれどもあまりにも未配信楽曲が多すぎる。


坂本龍一×三田寛子

'82年に作詞: 阿木燿子・作曲: 井上陽水による「駈けてきた処女」でデビュー。(のちに中山忍がカバー)

歌舞伎俳優「八代目 中村芝翫」の奥様、梨園の妻のイメージが強いかもしれませんね。

2作目のシングル「夏の雫」('82)ではデビュー曲と同じ阿木+陽水コンビの楽曲の編曲を担当。

坂本龍一×薬師丸ひろ子

角川三姉妹、2人目は薬師丸ひろ子。映画のデビューは'78年の「野性の証明」。'81年に公開された映画「セーラー服と機関銃」が主題歌も含めて大ヒットし一躍スターの座へ。

角川事務所を独立後もドラマ・映画・歌手として活躍を続けている。

Re:minderで開催された「80年代アイドル総選挙 ザ・ベスト100」では9位にランクインしている

坂本龍一が手掛けているのは'91年にリリースされたオリジナルアルバム「PRIMAVERA」の中の2曲。

「ふたりの宇宙」は作詞を大江千里、作曲+編曲を坂本龍一が担当している。(編曲は成田忍と連名)

「DESTINY」は作詞を大貫妙子、作曲+編曲を坂本龍一が担当している。(編曲は成田忍と連名)

坂本龍一×中谷美紀

元・桜っ子クラブさくら組。同じ桜っ子クラブさくら組の東恵子とのユニット「KEY WEST CLUB」でリリースした3rdシングル「夢はマジョリカ・セニョリータ」のメロディーはのちにアニメ「セーラームーン」の主題歌として「ムーンライト伝説」という有名な楽曲に流用される。

'93年にBMGルームス(ビーイングとBMGビクターの共同出資)よりソロデビュー。'96年にフォーライフレコードより再デビュー。以降、歌手活動を休止するまで坂本龍一が数多くの楽曲を手掛けている。

'97年にリリースされたアルバム「cure」、プロデュースは坂本龍一。トラック6「Superstar」の作曲をのぞく全楽曲の作曲・編曲も坂本龍一が手掛けている。

坂本龍一×岡田有希子 (×松田聖子)

'84年に竹内まりや作曲の「ファースト・デイト」でデビュー。3作目のシングル「-Dreaming Girl- 恋、はじめまして」('84 / 作曲: 竹内まりや)で初のオリコンチャートトップ10入りを果たし、'86年に発売された「くちびるNetwork」 で初登場1位を獲得、彼女にとって最大のヒット曲となった。

'84年のレコード大賞最優秀新人賞をはじめ数々の新人賞を受賞している。Re:minderで開催された「80年代アイドル総選挙 ザ・ベスト100」では10位にランクインしている

最大ヒット曲「くちびるNetwork」は作詞: 松田聖子+作曲: 坂本龍一という豪華な組み合わせ。意外?にも松田聖子自身は坂本龍一の曲を歌っていない。

彼女が生前最後に残したアルバム「ヴィーナス誕生」には先の「くちびる~」をはじめ「眠れぬ夜のAQUARIUS」と「WONDER TRIP LOVER」を提供している。

「WONDER TRIP LOVER」は坂本自身が同年4月にリリースされる「未来派野郎」に歌詞とアレンジを変えて収録している。'99年には中谷美紀が歌詞とアレンジを変えて「クロニック・ラヴ」というタイトルでリリースしている。

坂本龍一×荻野目洋子

'84年に「未来航海-Sailing-」でデビュー。以降、シングル6作目までは「ヒット」とまでは言えないセールスで停滞していたのだが、'85年11月にリリースされたAngie Goldのユーロビートカバー「ダンシング・ヒーロー (Eat You Up)」が'86年のシングル年間ランキング12位という大ヒット曲となる。

'86年に発売されたダンシング・ヒーローを収録したオリジナルアルバム「NON-STOPPER 荻野目洋子 "The BEAT" Special」が'87年のアルバム年間ランキング1位に輝く。アイドル歌手のアルバムが年間トップに立つのはこれが初めてである。

Re:minderで開催された「80年代アイドル総選挙 ザ・ベスト100」では17位にランクインしている

坂本龍一が手掛けたのはダンシング・ヒーローでブレイクする前。4作目のシングル「無国籍ロマンス」での作曲。


数々の素晴らしい作品を残して2023年3月28日にお亡くなりになってしまいました。心よりご冥福をお祈りします。

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