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書けないので、喋る

僕なりの設計図の飛行機じゃ届かない
飛べない鳥は 飛べない鳥だ

原因は自分にある。「青、その他」

またげんじぶに私を歌われてびっくりしてる。前から知ってた曲でも急にその時の自分に当てはまって耳に入ってきて、「え、今なんて?」ってなることがあって、それがまた起こってる。「僕なりの設計図の飛行機じゃ届かない」って人生すぎる。自己満足じゃ生きていけない。

ずっと推しメンがイマイチ定まっていなかったところに『君とゆきて咲く』という神ドラマが現れて、完全に杢代和人くんの虜になっている。アイドルが良い演技をしてたり好みの作品に出ていたりすると、”こんなに他人を魅力的に演じることができながら本業は自分自身を表現することなんだ…!!”というギャップにメロメロになってしまう。さらにげんじぶの場合そこに曲やグループ自体のコンセプトの強さという、また”演じる”に回帰してくる感じがあるのでなんかもうイチコロなのである。

アイドルをこのルートで好きになりがち(推すまでいかなくても自分の中でお気に入りメンバーになりがち)な反面、個人的にはこのギャップが究極の萌えツボなので演技一筋の俳優にはなかなかハマりにくい。アイドルになってほしい俳優がいっぱいいる。そしてこれを解消するのが8LOOMだったりキミユキだったりするのである。それこそ前田拳太郎にアイドルやってほしかった人とかいっぱいいるでしょ。

なんだっけ、もくちゃんの話ね。ソースを探そう探そうと思って探してないけど、彼は20歳の自分を想像した時に真っ暗でそれが怖くてこの世界に入ったらしい。あんな夢みたいな美少年でも将来が暗いとか思うんだっていう衝撃もあったけど、これが本当だとしたら「藍色閃光」の〈何が怖くて声上げて泣いていたんだろう〉が彼のパートなのが良すぎる。楽曲をアイドルが歌う価値ってこういうストーリー性にあるんだなあ。

君の命は君だけのもんだ
息も忘れるほどの青い星で
何が怖くて声上げて
泣いていたんだろう
ただ一瞬のその光を
燃やすために日々を使い尽くせ
これからの未来を
決めるのは神の仕業じゃない

原因は自分にある。「藍色閃光」

こんなこと歌われて、どうしよ

何者でもないけどそこに行きたくて
苛立ちも焦りも全部繋がってる

原因は自分にある。「Q」

これも、もくちゃんのその発言に近い気がする。げんじぶってメンバーの中身をもっとちゃんと知ったらこういう歌詞の旨味が増えそう。あともくちゃんの優しくてかわいい歌声がかなり好きで聴いていると安心する。特に上述の「青、その他」はMVも含めてもくちゃんがとても良い。Lienelの駿太くんの歌声もすごく好きでそれに近いんだけど(特に「Beautiful Music」の彼が心底好き)、やっぱりアイドルの歌ってただスキルが高いだけが価値じゃないよなって実感する。

因果律の挨拶でもこの前の誕生日前日のアメブロでも、「生きててよかった」って言ってることがすごくグッと来た。因果律で聴いた時も(へー、そういうこと言うんだ)って思ったけど。基本的に非現実なアイドルの中でももくちゃんって特に浮世離れした存在だと位置付けてたんだけど、本人はこっちが思ってるより現実味を持って生に固執してる感じがあるのかなとか考えている。

YouTubeにある100質で「嫌なことはすぐ忘れる?引きずる?」って質問に「忘れることはないかな、しっかり消化した上で次に進みます」と答えてたのもなんか良かったなー。

この間は電車で急に春ツ埼玉での潤くんの「明日から新学期だな!頭が仕事でいっぱいになってしまうこともあると思う!でもたまにでいい!げんじぶに会いに来てくれ!息抜き!俺らはそんな存在でいたい!グッドラック!」を思い出してちろちろ泣いていた。ちょうど頭が仕事でいっぱいだった。客降りでオタクに埋もれながらこれを叫んでて、ステージよりは近いところにいる潤くんがカラフルなペンライト越しに見えたのがそれはそれは綺麗だったのを覚えてる。

正直アイドルに「頑張れ」って言われるのが好きじゃなくて、というかまあ今みたいな精神状態の時って何を言われても(アイドル様がこちらの何を分かって…別に頑張りたいわけじゃないし…)とか思ってしまうんだけど、「グッドラック」ってアイドルからオタクに向けての言葉の最適解すぎてヤバい。「頑張れ」って言わば指示だけど「グッドラック(=幸運を)」って祈りじゃん。「頑張れ」って言われるとこちらも頑張らなきゃいけない義務が発生するような気になっちゃうんだけど「グッドラック」ってどっちにも責任が無くて良い。最高の言葉。これがナチュラルに出てくる潤くん素敵すぎるよなー。

というかマジで電車の端の席って今すごく好きな場所かも。ベッドの次くらい。つまり二位。壁があって(無い電車はNGね)自分の居場所が確保されてる感じが本当に安心するし、電車ってただ乗ってるだけで移動できるから自分が何かできてる気になれて助かる。乗り換えで歩くのは死ぬほど嫌いだけど。電車に揺られるみたいに人生も勝手にどこかへ運んでもらえたらいいのになあ。

「やりたいことを我慢するのが大人なら、僕は子供のままでいい!」みたいな常套句あるじゃん。高校生くらいまではわたしもそっち派の人間だったけど、働き始めてからこれが如何に無意味な考えであったか思い知る。この気持ちを失ったわけではないけど、そういうことじゃないんだよな、となる。やりたくないとかじゃなくてやらないと生きていけなくて、やらないとどうにもならないんだよね。で、別に好きなこと100%ではない今の生活が”我慢してる(させられてる)”とも思わないし、仮に我慢しているように見えたとしても今の自分が大人だとも思わない。精神論の是非どうこうの前に必ず生活と事実がある。「自分らしくやりたいことやって生きようぜ」とか言われると(それは君がアイドルだから言えることであってね…)と思う。

社会人って抑制が無いから、自由にもなれない気がする(職場のルールとかは勿論別の話)。この世にあるものの価値はどれも相対的なのかなと最近考えてて、自由も抑制があってこそなのかもしれない。この前”高校の頃の方が自由でいられた”みたいなこと書いたけど、本当にそうで、まず先に抑制があってそれを破ったりその中で動ける範囲を見つけたりすることが《自由》なんだと思う。

普通だったら痛くもないんだ
振り払った火の粉の一つ一つも
数え出して限りがない
こんな頭では乗り切れない一つ一つを
具体じゃない辛いを抱いてる
ありふれた思考でまた彷徨うのに

原因は自分にある。「結末は次のトラフィックライト」

普通だったら痛くもないことに具体じゃない辛いを抱いてありふれた思考を彷徨っている。街を歩いていて「お姉さん、」と声をかけられる時、ナンパだろうがキャッチだろうがわたしのような女でいいなら誰でもいいはずなのでいつもフル無視するんだけど、この前はなんだか理由もなく何か凄い出会いや機会を逃したような感覚になって、わたしはこうやって自己肯定感の低さから色んなものを取りこぼして生きていくんだと考えて凹んだことがあった。

外を歩いていてさ、同世代の女の子で可愛くない子がいないんだよね。これは誇張じゃなくて本当なの。全員どこか可愛いところがある。ほっそ~~~とか、うわ鼻綺麗…とか、口開けて笑った顔がかわいいの羨ましいなとか、そんなことばっかり考えて歩いている。職場でもそうだな。大抵女の子ばっかり見てて、やっぱりわたしってレズなのか?と思ったけど、恋愛対象がどっちとかどっちもとかの前にアセクでありアロマの可能性もあることのほうが重要なんだった。

これを確認したい気持ちもあるけど、もし恋人を作ろうとして実際に作れたとしても「やっぱり恋愛できませんでしたごめんなさい」ってなったら相手に失礼すぎるし、生身の人間を実験台にするなんてできない。例えば仮にロマアセクだと判明したとして、恋人に性行為を望まれたらわたしはそれに応えることができない。恋人の為ってことでやってみたとしても、もしわたしが逆の立場だったら、相手が乗り気じゃないことを自分の欲求の為にやってくれているとたら嫌だな。ん?日本語難しい、伝われー

ていうか、もしやってみたら別に普通だったなって感じだったとしても、色々優先順位をつけて選んでいく生活の中でセックスがやりたいことの一番上に来ることが無い気がする。だからもし本当に大好きな人と恋人になれたとしてもセックスを時間の無駄だと思ってしまいそう。

だから恋愛に生身の相手が必要な以上、責任が持てないんだよね。その人に誠実でいられるかどうか分からないし、いられなかったらきっともっとわたしはわたしを嫌いになる。でも誰かを好きでいることの内的なパワーって物凄くて、きっとそれはわたしにも必要で、だからアイドルが好きだしわたしはわたしが思ってるよりずっと強くアイドルに疑似恋愛を求めてるのかも。

アイドルがアイドルを辞めて変わっていってしまうのとか、演者のフォロー欄に明らかに同業ではない女の子がたくさんいるのとか、シンプルな流出とか見て勝手に失恋したような気持ちになってかなりしんどくて落ち込むんだけど、普通に恋愛する人ってこれの本物を人生で何回もやってるの?失恋の心的ストレスってヤバすぎない?わたしが恋愛を進んでしないのはこういう精神的なプラマイが賭けすぎるところにもある。ハイリスクハイリターンなのかもしれないけど、膨大な時間と労力を割いた上にそれが実らなかった時のことを考えると非効率的すぎる。恋愛ってこういうことじゃないんだろうね。

【追記 6/2】*
つい最近好きになったバンドマンが既婚者であることを知り、めちゃくちゃ落ち込んでいる。これは私が結婚というもののメリットが分からないからこそ、尊敬できる人が結婚をする側の人間だったことに落ち込んでいるのか?それか逆に私の持つ”好き”が全て恋愛的なものである、つまり極端に言えば全人類を恋愛的に見ているのか?なんなんだろうね?だってその人のことを知ったのだって一か月前とかで、情は無いし普段の性格とかも全く知らないの。

恋愛としての好きと友達や推しとしての好きの違いが分からないというのはずっとあったんだけど、逆に全てが恋愛的なものなのかもしれない。「全身が筋肉痛ならそれは筋肉痛じゃないのと一緒」みたいな「すべてあるなら何も無い」的理論と同じ。円グラフで、0と100の目盛りって重なるでしょ、そういうことな気もしてくる。


はー、もうなんか本当に全部がどうしようもなくて、労働人生に絶望していて、頭も心も体も使い物にならない。でも働かないと来月のわたしがまたどうにもならなくなってしまうので、重い脚を引き摺って仕事行ってる。さっきも書いたけど本当にこれに納得がいってないわけじゃないんだよ、自分で選んだことだしね。ただ、あー、疲れたなってだけ。今月ずっとこんなんで、実際ちょっと熱出したりとかもして、本当嫌になる。五月病なんてものではないんだよね。最初げんじぶの話してたのに…

18時40分あたりの空がめちゃくちゃ綺麗な日が何日か続いてたけど、空が綺麗でも、空が綺麗なだけだね。


書きたいことは色々あるのに丁寧に言葉にして組み立てる気力が無かったので、喋りました。これ三日前くらいからちょこちょこ書いてたんだけど、昨日(一昨日)行ったライブがすごく良くて気持ち的には少し元気になってるのでそれはまた別で書きます。おやすみなさい

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