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すばらしい新世界(オルダス ハスクリー) 読書感想文

 「フォード」が神となった近未来世界を舞台にしたディストピア小説。
 フォードとは、おそらく自動車会社のフォードのこと。この世界ではキリスト教をはじめとして、現在普通に存在しているあらゆる宗教が駆逐されている。「フォード」はこの社会に完全に浸透していて、驚き、怒り、喜び、これらの感情を表す時には「フォード!」と口にする。まるで「Oh my God」や「Jesus Christ」のように。
 フォードの思想は、人間の誕生にも大きな変化をもたらした。卵子と精子を人工的に受精させたもの、つまり受精卵を、さらに96分割して、瓶の中で成長させる。瓶はベルトコンベアに乗せられ、何日もかけてゆっくりと移動させられる。その間、電気的な刺激やアルコールなど薬物の刺激によって“条件付け”という作業が行なわれる。これによって、本来全く同じように育つはずの胎児が、人工的に優劣をつけられ、アルファ、ベータ、ガンマ、デルタ、イプシロンの5つの階級(さらにそれぞれの階級にはプラスとマイナスの上下関係があり、実質10の階級)に分けられる。
 各階級に分けられた人間だが、彼らの幸福度に差があるかと言うとそうでもない。最上位のアルファは、もちろん下の階級蔑んでおり、「アルファに生まれて良かった」と心の底から思っている。しかし一方、最も下の階級であるイプシロンも「アルファやベータではなく、イプシロンに生まれて良かった」と心の底から思っている。いや、そう思うように“条件付け”されているのだ。
 この世界は、オーウェルの「1984」のような超管理社会で人々が常に緊張状態にあるというわけではない。むしろ全く逆。仕事はみんな楽しんで行ない、プライベートではフリーセックスはもちろん乱交まで推奨される。何か精神的に苦しいことや悲しいことがあると、“ソーマ”と呼ばれる錠剤を服用すれば、たちまちハッピーな気分になれる。そう、タイトル通り、まさしく「すばらしい新世界」なのだ。

 この物語を読んでいて思ったのは、今の日本社会とそれほどかけ離れていないなあ、ということ。一日の4分の1程度の時間を勤め先に提供しさえすれば、死なない程度には生きていける。人工的に味付けされた食事でそこそこ満足感を得て、スマホやパソコンがあれば様々な欲求を満たすだけでなく、悲しいことや辛いことをごまかすことさえできる。現代日本と「すばらしい新世界」、“上辺だけの幸せ”という点で、ほぼ同じではないだろうか。
 こんな世の中になぜ自分が生まれたのか、そんなことを考えずにはいられなかった。

 物語のクライマックス、世界統制官ムスタファ・モンドと、保護区と呼ばれる辺境の地からやってきた野人ジョンとのやりとりが興味深かった。ムスタファが「蝿も蚊もいない。何世紀も前に一掃したからね」と文明の素晴らしさを説いた後のジョンの返答を引用する。
「じつにあなたたちらしいやりかたですね。不快なものは、それに耐えることを学ぶのではなく、消し去ってしまう。暴虐な運命の石つぶてや矢弾を心の中で耐え忍ぶのと、怒涛のように押し寄せる苦難と闘ってそれを終わらせるのと、どちらが立派でしょうか。でも、あななたちはどちらもしない。耐え忍ぶことも闘うこともない。ただあっさりと、石つぶてや矢弾を一掃する。安直すぎる」
 これは、現代にも当てはまるように思う。考えてみて欲しい。たとえば、津波を防ぐために、生態系を分断するようなドデカイ防波堤を築いたり、風邪ウイルスを防ぐために過度な感染対策を何年にもわたって取り続けたり……。弊害を無視して災難をゼロにしようとすることが、本当に正しいのだろうか。今一度、日本人ひとりひとりがしっかりと考える必要があるのではないだろうか。
 ただ、残念なことに、現代の日本人は、本当にものを考えなくなった。すすんで勉強しなくなった。「すばらしい新世界」で書物というものがなくなっているのと、これまた類似しているように思う。
 人間は考える葦である。
 死ぬまで考え続けたいと心から思った。

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