ゴリオ爺さん読書感想文
著者 オノレ・ド・バルザック(1799~1850)
1月23日読み始め2月4日読了。
印象に残った人物
ヴォ―トラン。ギラギラした感じがたまらない!長ゼリフがめちゃくちゃかっこいい!!
あらすじ
ヴォケール館という長期滞在者向けの安宿を舞台に、人間味が強すぎる人たちがぶつかり合う物語。
タイトル通りに「ゴリオ爺さん」が主役というわけではなく、同じヴォケール館に住む貧乏学生ラスティニャックが物語の中心人物。勉学の道に見切りをつけ、貴族である遠い親戚を頼りに社交界にデビューしたラスティニャックは、そこで二人の美しい夫人と出会う。彼女らはなんとゴリオ爺さんの実の娘たちで、ラスティニャックは妹のデルフィーヌと恋に落ちて社交界の風雲児になるも・・・・・・。
感想
ゴリオ爺さんの死に際。もう何日ももたないという状況。実の娘なら何をおいても駆けつけるのが、愛を謳うフランス人の流儀かと思いきや、なかなか訪れようとしない。関係が少しギスギスしていた姉のアナスタジーが来ないというのはまだ理解できるが、ラスティニャックが妬くほどパパラブだったデルフィーヌが面会どころか葬式にさえ訪れず、挙句の果てにラスティニャックの訪問すら拒絶する始末。「父を看病しに行くわ。決して父の枕もとを離れないわ」と何度も繰り返したのは、なんだったんだろうか?
一方のゴリオ爺さん。死の床についても、口にするのは「娘たちをどれだけ愛しているか」ということばかり。憐憫の情を覚えなくはないが、あまりくどくど言われると、逆に本当は娘たちを愛していないんじゃないかと思えてきた。
社会的に成功して、二人の娘にたくさんの持参金をつけて嫁に出し、自身は贅沢な暮らしなど見向きもせず、安宿で同宿人たちに軽んじられながらも淡々と生きていく。そういう生き方をしてきた人物なら、娘たちが面会に来ないというだけでオロオロせず、その事実を受け入れて、すました顔であの世へと旅立つのが美しい流れだと思う。それができなかったというのは、以前からうすうす親子の関係性に自信が持てなかったのではないだろうか? そして、それを認めたくないから「娘たちを愛している」と必要以上にアピールしたのではないだろうか。では、彼が愛していたのは何かというと、これはもう自分自身。「娘を愛している自分」の姿を愛していたのではないだろうか? 邪推かも知れないけど、そう思えてしまうほど、往生際の悪い最後だった。
(※追記: 巻末の解説を読んで、イタリアのイタロ・カルヴィーノという作家が同じようなことを指摘していることを知りました。イタロっち、目の付け所がいいね!)
ただ、物語はそこで終わらず、ゴリオ爺さんの葬式を終えたラスティニャックがパリの社交界に宣戦布告する形で幕を閉じる。男の生き様ここにあり!といった感じで、とてもカッコイイ!!
爺さんに対しての文句が多くなってしまったけど、物語自体は本当に面白い。人間味濃縮100倍!みたいな人たちばかりで、彼ら彼女らの息遣いまで聞こえて来そう。ページをめくるのが本当に楽しかった。「人間喜劇」と呼ばれる数々の作品をもっと読んでみたい!
あー、面白かった!!
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