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グレートギャッツビー(フィッツジェラルド×村上春樹) 読書感想文

 まず、訳者である村上春樹のあとがきから、この作品(というか著者の文章)の特徴を抜粋。

「まずリズムがあり、流れがあり、そしてそれに相応しく密着した言葉がおのずとわき出てくる、それが僕の考えるフィッツジェラルドの文章の美点なのだ。」

 読後にこの文章を読んで、「だよねだよねだよねー!」と深く合点した。とにかくこの「グレートギャッツビー」、言い回しや描写が素晴らしい。初見でパッと情景が浮かんできて、その度に舌を巻き過ぎてねじ切れるんじゃないかと思うほど感心した。いくつか引用します。

「彼はとりなすようににっこりと微笑んだ。いや、それはとりなすなどという生やさしい代物ではなかった。まったくのところそれは、人に永劫の安堵を与えかねないほどの、類い稀な微笑みだった。そんな微笑みには一生のあいだに、せいぜい四度か五度くらいしかお目にかかれないはずだ。その微笑みは一瞬、外に広がる世界の全景とじかに向かい合う。あるいは向かい合ったかのように見える。それからぱっと相手一人に集中する。たとえ何があろうと、私はあなたの側につかないわけにはいかないのですよ、とでもいうみたいに、あなたを理解してくれる。自らがこうあってほしいとあなたが望むとおりのかたちで、あなたを認めてくれる。あなたが相手に与えたいと思う最良の印象を、あなたは実際に与えることができたのだと、しっかり請け負ってくれる。」

 これ、ギャッツビーの微笑みを説明する描写なんだけど、凡庸な書き手(俺とか)だったら、ここまで長く描写しないし、したとしても、たぶんダラダラとした文章になってしまうと思う。でも、なってないよね。これが村上春樹が言う「リズム」であり「流れ」なんだと思う。
 もう一つ。これはモロネタバレなので要注意ね!(まあ、知ったところでこの作品の面白みが消えるってわけじゃないけどね)

 物語の終わり際、ギャッツビーが拳銃で殺されてプールに浮かんでいる時の描写。

「目にとまるかとまらないかの微かな水の流れが、そこに作られていた。給水口から反対側の端にある排水口へと水が移動しているのだ。さざ波とも言えない程度のささやかな水面の震えが、重みを受けた浮きマットをプールのあちこちに気まぐれに動かしていた。折にふれて吹き渡る微かな風は、水面に波形を作ることさえほとんどなかったが、それでもその不慮の重荷を積んだマットの辿る、あてのない進路を左右するには事足りた。ひとかたまりの木の葉に触れると、マットはそろりと回転し、コンパスの針を思わせる動きで赤い円を水面に細く描いた」

 まるで自分がギャッツビーを俯瞰しているような気分になりませんか? なんかもう、まいりました!って平伏したくなる。
 こういう描写は、ほんとあちこちに出てくるから、それを楽しむためだけにこの本を読むってのもアリだと思う。この作品はもともと冒頭と結末の文章が「名分」として定評があったそうで、訳者(村上)はその部分の訳にもっとも腐心したと述べている。それを受けて改めて冒頭と結末を読んでみたけど、他の部分に比べて特に素晴らしいとは思わなかった。あっ、これは誤解して欲しくないんだけど、言いかえると、全編を通して文章が素晴らしいってことね。だってね、本当に何気ない、気をつけていないとサラリと読み飛ばしてしまいそうな文章の訳がホントーにシャレてんだわ。サッカーで言えば、ヒールでキラーパス出しまくってる感じ。
 是非手に取って、フィッツジェラルドと村上春樹のコラボ作品を楽しんでほしいと思う。

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