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「われら」読書感想文

著者

エフゲーニー・イワーノヴィチ・ザミャーチン(1884~1937)
2月27日読み始め3月5日読了。

訳者

松下 隆志

あらすじ

 地球を〈単一国〉が統治するようになって1000年。そこでは、「数学的に誤りのない幸福」が強制され、多くの国民は喜んでそれを受け入れていた。物語は宇宙船インテグラルの建造技師Д(デー)ー503の記録という形で綴られている。
 Дは模範的な〈単一国〉の国民だが、国家転覆を目論む反乱組織メフィの一員である女性Iに心を奪われ、彼女と運命を共にしようとするものの……。

印象に残った人物

I-330。女性。この物語に出てくる人物の中で、数少ない「人間」。エロイ感じも素敵。

感想

 ストーリー自体は分かりやすいけど、文章に手こずった。「両目がギラリと光った。それは二本の鋭いドリルで、高速回転しながら(私の中に)どんどん深く入り込み……」とか、「ピンクの翼の耳を大きく広げながら、Sの頭が走っていった」とか、「医者は私の言葉をチョキンと切り取り」とか、「目を牛の角のようにして薄っぺらな医者を突き上げ、私のことも突き上げた」などなど。具体的な描写なのか心理描写なのか、全く分からない書きっぷり。違和感ありありで読んでいてんだけど、ちょっと待てよ、と。考えてみれば、これ1000年後の文章なのだ。日本で例えれば、2024年の現在、1000年以上前に書かれた源氏物語を、原文でスラスラ読める人がどれだけいるだろうか? そう考えると、ドリルだの頭が走るだの目で突き上げるだのといった表現なんかは、むしろまだまだ足りないくらいだな、と、半分くらい読み進めて、ようやくその境地にたどり着きました。それからは、1000年後の描写を、むしろ楽しめるようになりました。

 さてさて、本筋の感想。さすがジョージ・オーウェルやオルダス・ハスクリーが影響を受けたとも受けていないとも言われる小説。全体主義の世界観が、この小説を見事に支配している。以下、この〈単一国〉の思想に染まり切ったДー503の言葉を数例上げる。
「人間の自由=0なら、人間は犯罪を起こさない」
「われらが〈緑の壁〉を建て、この〈壁〉によって自分たちの機械的で完全な世界を、木や鳥や動物の非理性的で醜い世界から隔離したとき、人間はようやく未開人ではなくなったのだ」
「《私》が〈国家〉に対して何らかの《権利》を持ち得ると仮定することと、一グラムと一トンが釣り合うと仮定すること、これは全く同じことである」
 などなど。
 こういう「科学や数式こそ正義!」という思想は、今の時代、特に日本には、通じる部分がかなりあるんじゃないだろうか? 世間ではいまだに感染対策こそが最も重要であり、それを守るためなら死者が出てもいいというような、笑うに笑えない状況が続いている。そして、その風潮に異議を唱える者は「陰謀論者」、「反ワク」、「反マスク」とレッテル貼りして排除しようとする。
 著者のザミャーチンは当時のロシアの社会体制に異議を唱えてロシアに居られなくなり、フランスに亡命したという。この「われら」という小説は、今の時代の日本でこそ、広く読まれるべき本なんじゃないだろうか?
 
 物語は終盤、より一層確実な「幸福」を目指すために、「想像力を無くす脳手術」が国民に義務付けられる。そのとき、Дの住居を監視する役目の女性Ю(ユー)が、子供たちをまとめて手術に連れていき、(暴れる子供たちを)縛り付けなければならなかったことをДに伝えるのだが、そのときに放った言葉に眩暈を覚えた。
「無慈悲に愛することが必要なんです、そう、無慈悲に」
 愛の名のもとの児童虐待。自覚なき児童虐待。どこかの国が、「周りの人を守るために、子供たちもコロナワクチンを打ちましょう!」と煽っていたのが思い出される。コロナに強いといわれる子どもに対して、安全性の不透明なワクチンを接種させる。冷静に考えれば「あかんやろ!」という医療行為を言強制的に押し付けるそのおぞましさ。そっくりすぎて、目からドリルが飛び出そうになりました。

 ザミャーチンの「われら」は、決して昔の人の空想話ではなく、現実に起こりうること、そして起こっていることである。

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