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ネガティブな考え方の癖って全人類持ってるから大丈夫やで!って話


さて、今回から新しい視点で描いていきます

どんな視点か?それは世界はもっと広いでぇ〜という視点です

今の常識と言われるルールで運営されている世界はとても狭くて窮屈です

世界はもっともーーーっといろんな要素からできています

そして、そのルールに囚われない方が自由で自然体な自分を表現していくことができますよ〜

感じたままを素直に表現する自分で生きていけますよ〜

という感じで描いていこうと思っています

なんで、テーマは多岐に渡ると思います


で、テーマは私の日常で出会った違和感とか、みんな(自分含め)こういうことで苦しくなってんやな〜

みたいな出来事からピックアップしてくのでだいぶランダムかも

さて、第一回目のテーマは
『自分を知ってもらうこと(認知されること)』についてです。。。。。
。。。。。。
。。。。。。
。。。。。。


が、先程描いた文章がぶっ飛んだので、またの機会に描きますね笑

一回本気闘魂で描いたから、もうおんなじテーマで描けなかったZ


いや〜大作だった。。。悔やまれる〜けど、なんかいいことあるかもよ〜と慰めてます笑


で、気を取り直して新たなテーマ『他人や自分を責めちゃう意識』についていろんな角度から出来事を見つめていく回にしてみます


相手を責めてしまったり、自分を責めてしまったり、日々私たちはこんなことを繰り返してるように思います


怒ったり、悲しんだり、妬んでみたり、寂しくなってみたり、自分なんてとか、自分なんかと思ってみたり、恥ずかしいと思ったり、完璧にできない自分はダメだと思ってみたり


これはいずれにせよ他人も自分も責めてる場合に起こります


そう。
意識が思考とピッタリくっついているうちは、私たちは『この責める』が日常茶飯事です。(語弊がないようにですが、責めることを責めてないです笑)


それもしゃーないとゆーか、そーゆう仕様に出来ているというだけです

今まではそういう制限を楽しむ時代、これからはその制限を超えて創造性を楽しむ時代です

仕組みを理解して、選択肢を増やしていきましょう〜!(そん中から自分にあったもの選べばいいしね)


まず、声を大にして言いたいのが、
自分に対して責めちゃう場合はみーーーんな同じことやってるから別に責めなくてもいいんやで!です笑

たぶん、責めてきたあの人も全くおなじことやってるし、傷つけてしまったあの人も同じことやってます

(だから、開き直るとはまたニュアンスちがうけど、自分責めすぎなときは、少し他人に押し付けるくらいがちょうどいいってことだす。その感情の高ぶりから抜けてからが大事です〜それ、この後つづきまーす)

別に聖人目指してるわけじゃないし、人間だし、とゆーか、真の聖人はちゃんと自分で自分をネガティブにみえる部分を受け入れてまっせ

自分にネガティブ(勝手に自分でそう決めてるだけ)な側面がないんじゃないんやで

そんな人いたらここ(地球)に生まれまてん

とゆーことを言いたいっす〜


で、他人を責めちゃう場合には
とりあえず、その感情ぶち撒けようぜ!やりまくろう!全部ぶちまけて落ち着いたら、自分も同じような意識がないか点検してみよーぜ!
と言いたいっす〜

わたし含めここ地球に生まれてきた全人類考え方の癖(自分を縛るための考え方の癖)があります

リズブルボーさんが書いた5つの傷という本があるのですが

・拒絶の傷(嫌われたくない!逃げたい!自分はどうでもいい存在、嫉妬)

・見捨ての傷(1人にしないで!1人じゃ何もできない、依存しちゃう、投げ出しちゃう、1人がこわい)

・侮辱の傷(罪悪感とか劣等感、こんなことする自分は恥ずかしいとか、自由になったらこわい)

・裏切りの傷(誰も信じられない!自分が正しい!思い通りにならないと我慢できない!自分の弱さを認められない)

・不正の傷(完璧主義、頑固、受け取ることが苦手、自分の限界以上に頑張る)

これが人間にはみんな多かれ少なかれあるよ〜そんでもって、それぞれの傷の特徴は身体的な特徴としてあらわれてるでぇ〜


ってゆう内容です


わたしも同じ認識で、この五つを持っていない人はいないと考えています

その人の性質やタイミングでどの傷をかばおうとしているかがあるって感じ〜


どんな人でもありまっせ!考え方の癖が!って思います。


だから、そんな傷ついちゃう状況に出会ったらただの事象として捉えていくことが大切だと思っています


少し引いてみると自分が楽です
(あ、でも感情が溢れてくる時はどっぷり主観的になることをお勧めします。そんなときに客観的になると自分を責めたりしちゃうことあるので)


どんなか?とゆーと、その傷ついた出来事は何を映し出しているのか?にフォーカスしていく力です

視点のずらし方。
意識の拡大の仕方。
器の広げ方です。



あ、あと忘れないうちに。

自分を責めるというのは1番周波数が低くなる行為です(でも責めちゃうときはそれをやりきることをお勧めします。それは周波数下がりまてん。ぎゃくに上げる〜責めてる自分を否定する時は下がります)

それは他人を責めるよりも自分を責める方が周波数落ちます

わたしは臭いで周波数を感知する特技があるのですが、あまりにも自分を責めすぎてる人はけっこうガシガシに自分の周波数落としてます

とゆうことは、身体にもけっこう負担かけてます

それやりすぎると病気になるでやんす

私たち人間だけじゃなく全ての生物は生物音叉みたいなもんで、常に周波数出してます

身体の全ての器官から出してます

で、その考え方の癖と身体の器官は連動してるっす

肝臓は怒りとか腎臓は不安とか肺は悲しみとかまぁ、いろいろあって、それは多分詳しく書いてる人いるからどなたかの検索してみてください(てきとーーー笑)


その考え方の癖が強い部分の臓器や身体の部分に痛みがでたり病気がでたりします

周波数おちてるからね


病気とか痛みは周波数が低いことで起きてます(多くの場合は。例外もありやす)

だから、そう言ったものの治療の根本は意識(考え方の癖)を変化させること、自分や他人を責めるのをやめる考え方に移行すると次第に薄れていくと感じます

そんなときにハーブ(自然からできたもの)は弱っている(周波数おちてる)器官が本来の機能を取り戻すように調整してくれます。

私たちは菌からできているので、菌の調整をしてくれるといってもいいかもしれません。

だから、自分がどんな考え方の癖をもっていて、それにはどのように対処していったらいいのか?

生きてるうちはこの作業と共存する感じだと思います


最初は苦行かい!と思ったりしますが、慣れてくると溜めてた感情も無くなってくるので非常にライトな対処ができるようになります

苦行だと思うのは自分のネガティブ(自分でそう思ってるだけ)を認められない間だけどす

みんなネガティブもってるネガティブフレンドだと思ったら気が楽かも笑
ネーミングやだね笑
やめよか笑

そんで、この作業をやっても、やらんでもどっちでもいいのが前提にあります

それぞれにメリットデメリット(ただそういう事象だということ)があるので自分のペースがいいっす〜

ということで、脱線しましたが



現実で傷ついたこと、違和感を覚える出来事をどんな視点でとらえていくか?
についてお話ししてきます。


その出来事は、自分や他人を責めたりするために起こった出来事では決してないということが前提にあります


その先のほんとは自分がどうしたいか?
どんな感情があるのか?
素直な自分はなんと言っているのか?


これを導くための出来事だと感じます



まず、違和感のある出来事にはあれ?とか、いや!とかムカつく!とか悲しい!とか反応があるはずです

何か考え方の癖がある出来事は心が反応します

したら、まずは感情をやりきるのがいいっす〜

ただ悲しい悲しい悲しい
ただ寂しい寂しい寂しい
ただムカつくムカつくムカつく
ただこわいこわいこわい
ただ恥ずい恥ずい恥ずい

てな感じで言葉でブツブツいったり、紙に書いたり、泣いたり、サンドバック殴ったり、エネルギーとして出すことをおすすめします

感じ切るのもいいけど、エネルギーとして出すのが手っ取り早い感じありやす


主観的をやりきると、急に客観的になれたりします

責めちゃうのは、自分が感じたネガティブな感情を否定するからまた同じ事繰り返しちゃうんだと思う

ネガティブな自分を認めるのが真のある強さだと思います

で、主観的な自分やりまくると、何がこわいとか、何が不安とかどんなことがムカつくとか、なんで悲しいかとかみえてきたりするんですよね〜


自分のほんとうの声が聞こえてくる

これに耳を傾けることでどんどん傷(考え方の癖)が癒えてきます

そうだ!その調子だ!
これの繰り返しだーーー!(修造っぽく)ということです

そうやって自分の感情や思考に意識的になっていくと、溜まっていた感情は消化され、思考の囁き(また傷つくよ?とゆう甘い囁き)に耳を傾けなくてよくなります


玉ねぎの皮を剥く感じ


いつも新しいわたしを発見できます


みんな(わたしも含めて)自分で自分のこと決めつけすぎだったりします


私からみたらすごく豊かな才能を持ってるのに、みんなその才能謙遜しちゃいがち〜


こーゆーところが個性的で才能だなっ(^^)面白いな!楽しいな!頼もしいな!って思うところを否定してる人多いです


それは、社会の常識に当てはめようとするからだと思う


社会の常識は当たり前じゃないのです(^^)

わたしはタイに住んでいて、その他20ヶ国近くいろんな国をみています

そんで切に思うのはところ変われば当たり前は変わりますよ〜ということ

ということは、当たり前はないと言うことです(^^)

自分が居心地のいい場所を見つけるだけなのです

それには、ほんとは自分は何を望んでるか?知る必要があります

全ての物差しは自分の心が何を言ってるか?です(^^)

社会じゃない

素直に心が訴えていることを受け取る力が自然体に自分を表現して生きていくには大切だなぁ〜と思います


あれ?まとまったかな?


みんな素敵やで!ってほんと思います♡


今日はこんなところで!


読んでくれてありがとうございます♡


らぶ♡





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