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IAのすゝめ

磯和健人
東京大学 公共政策大学院 → 外資系投資銀行 内定


偏差値至上主義への疑問

 「ゴリラ」
 この言葉を聞けば多くの方の頭の中では動物園に行けばよくいる、黒い毛をした動物を思い浮かべるでしょうし、身近な存在ではないかと思います。
 しかし、私の中では近年SNSを中心に”マウンティングゴリラ”と呼ばれる、マウントをとることで自分の価値を示そうとする人(ゴリラ)が増加しており、今や動物のゴリラよりも遥かに数が増えているような気がします。
 近年では、SNSの流行の影響かは不明ですが他人に対しマウントを取るような言動が増え、年収や学歴などの定量的な尺度で人の価値を指し図るような人が増加しつつあると感じます。中高生の時は「偏差値」という尺度があり、この尺度が絶対視されていましたが、大学生になってもこの指標からは逃れることは出来ないのではないでしょうか。

 大学生の悩みの種となる就活では、就活支援会社などが出している就職偏差値などがあり、この中で偏差値の高いとされる「難関企業」なるものに憧れる人も多いでしょう。悲しいことに、このような偏差値戦争は下手をすると中学校受験の頃から付きまとい、偏差値至上主義のような雰囲気すらあると私は感じています。
 かくいう私も、IAと出会う前はこの偏差値至上主義に捕らわれていた所があり、人気がある(=偏差値が高い)から等の理由で、あまり考えずに戦略コンサル、投資銀行の投資銀行部門(通称IBD。M&Aや資金調達に関わる部門)に漠然と憧れを抱いていました。しかし、心の中では一生に一度しかやり直せないキャリアを、他の人の評価や今の人気に影響を受け決めてよいのかという漠然とした違和感のようなものを抱いていました。

『コンサル・IBD=正解』という物差しの闇』

 私がなぜ、上述のような偏差値至上主義に捕らわれるようになったのかというと、今流行りの”学生(金融)コミュニティー”の影響が大きいと思います。
 最近の学生(金融)コミュニティーに対しては、私はあまりいい印象を抱いてはいません。理由としては、非常に功利的な色彩が強くなっていて、特に就活対策の一環化しつつあることが挙げられます。「投資銀行のインターン対策の為に企業価値算出法を学ぼう!」といったような目先の知識を獲得するのが第一であり、知識としての側面でしか金融を見ていないケースが多いと感じます。
 結果として、全てとは言いませんが目先の就活の為に知識を身に着けることが第一となり、その延長として 
 【戦略コンサルや投資銀行(中でも投資銀行部門(IBD))に行くこと=正解】
といった流れや雰囲気が上位校に蔓延しているような気がしています。先輩が行ったから、倍率が高いからといった他人の物差しで企業を選ぶ、偏差値至上主義により「とりあえずコンサル」といった言葉が示すような視野狭窄やミスマッチが起きつつあると感じます。

 確かに、日本経済の低迷等もあり将来の不透明感が増す中で、世の中全体でいいとされるものに飛びつきたくなる気持ちは十二分に理解できます。高収入が狙える ”難関企業”に行くことが一概に全て悪いとは言えないと思います。 
 とはいえ、ただ闇雲にいいとされる企業を目指す事には疑問を感じざるを得ません。更にいえば、落伍者の烙印を押されたくない、マウントを取られたくないという気持ちで選択を行っている学生も多いと就活をやっていてひしひしと実感しました。

 このように、今の学生(金融)コミュニティーでは、コンサル・IBD=正解といった思考停止の分かりやすい尺度を作っており、目先の知識をつけることに執着している傾向が強いのではないかと私は見ています。

真の力とは

 ここで、かの有名な『学問のすゝめ』をもとに、福沢諭吉の行っていることを再考し、本質的に重要なことは何なのかについて考えてみたいと思います。 

 あまり知られてはいませんが、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という言葉を使い生まれながらにして人は平等だとしつつも、福沢は西洋のことわざを引用しながら勉強するかしないかにより差がつくと指摘しています。
 そのため、勉強を行うことが無駄になる事はないでしょう。しかし、私はあらゆる学問の中でも”金融”を学ぶ事は非常に有意義だと考えています。勿論、音楽や哲学、など様々な学問分野にはそれぞれが持つ魅力や意義があることは否めないでしょう。けれども、現代社会では金融、特に資本主義というイデオロギーがほぼ全ての国の根幹をなしています。そのため、金融を学ぶこと=資本主義の根幹を知る事=となり、つまりは世界を知ることだと言えるでしょう。また、金融という分野を通じて学ぶ事ができる「リスクマネジメント」の思考が日常生活に活かすことができると感じています。
 
 そのため私は、学生コミュニティーが実践しているような目先の金融知識をつけることではなく、金融の学習を通じた思考法や姿勢の体得こそが本質的に大事だと考えます。そして、この本質的に大事なことを活動の根幹に添えている日本で唯一とも言える団体こそIAだと強く信じています。

IAでの学びと変化

 では、上述の学生金融コミュニティーとIAは何が違うのでしょうか。ずばり、他の金融コミュニティーとの違いとしては私は2点述べたいと思います。

 まず、一点目として「利害関係抜きで”超一流””から「金融」について学べる」ことです。IAでは就活要素抜きでGSの元MDであった森山理事長を始め、各界の第一線に立つ方(詳しくはHPを参照)から話を伺うことができ、目先の専門知識ではなく知識を活かす思考法・姿勢などが学べます。特に、IAでは「リスクマネジメント」を学ぶことをテーマにしており、金融の実務(トレードなど)のみならずキャリアや人生において、不確実性が伴う中でどのような意志決定を行うべきかということを学習していきます。学生の時に学んでおきたいには目先の参考書を読めば身に着く知識でなく、本来このような知恵や姿勢なのではないかと思います。

 2点目としては「キャリアデザイン」と「デザイン思考」を学べることを挙げたいと思います。学生金融コミュニティーでは意識されていませんが、IAでは授業の一環としてデザイン思考で有名な各務理事の授業があり自分たちでデザイン思考をもとに事業創造を行い投資家にプレゼンする機会が設けられています。デザイン思考を学ぶことは事業モデルの理解に役立つと感じましたし、キャリアデザインも学生の中では軽視されがちではありますが、キャリアの第一歩を決めるには学んでおいて損はないと思います。IAと出会わなければ遠回りなように見えて実は欠かせない力を身に着けることができなかったはずです。

IAで得た新たな視点とキャリアの変化

 このようなIAでの学びを経て、私のキャリアも大きく変わることになりました。IA活動前と後を比べると日々の生活における意志決定の中で、何をするかではなく、何を捨てるかの思考法が実践できるようになったと感じています。
 周りを見ると「○○をやれ!」といった情報が蔓延し、周りから遅れる・異なることへの不安感から自律的に考えてやりたいことに時間を費やせる環境は以前よりも少ないのではないでしょうか。他者の評価を気にするがあまり偏差値に執着し、就活でも偏差値至上主義が色濃く残っているような気がしてやみません。

 私もその影響か、IAと出会うまでは、周りの優秀な人が志望している等の理由から外資系投資銀行のIBDをあまり考えず志望していました。しかし、私自身は金融市場が好きでありアナリストに興味を持っていたため釈然としない気持ちを抱えて就活を行っていました。
 しかし、IAにて”他者が決めた物差し”を捨てる思考を得たことで、元々行きたかったマーケットに深く関われる部門に志望を変更し、最終的にはその部門から内定を得ることができました。IA抜きでは今の状況はなかったと思いますし下手をすると一生、他人との比較でやきもきしていたかもしれません。惰性で周りに流されていたところから、主体的に自信を持って意志決定できるようになったのは、今後の人生においても非常に大きな糧になったと感じています。

 この記事は私の個人的な意見が反映されたものではありますが、果たしてここに書かれたことは正しいのか否か... その答えはみなさんが自分の目で見て確かめてみてください!

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