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「氣」と仙術 Ver1.0


悪しき「氣」の流れを変えよ!

気功を修練すると心身が健やかになり、気力も充実するので、時間を有効に使えるようになります。また「氣」のパワーが増大すればするほど潜在能力が解放されていき、結果的に世界への干渉力も強まります。

世界を川の流れに例えるなら、我々は一滴の水に過ぎません。しかし、川から独立した水は独自の運命を持つに至り、時には川の流れを変えてしまう事もあります。

「氣」のパワーを高め、その扱いに習熟すれば、人によっては川の流れを変えるほどの干渉力が身に着きます。これが魔法や、呪術と呼ばれるものの正体です。


高藤仙道では「氣」の感覚を使って、お金の流れを引き寄せようとします。コツさえ分かれば、それと同じ要領で他の流れを引き寄せたり、流れそのものを変える事も出来ます。

気功をすれば病気が治るというのは有名な話ですし、実際に国内外の気功治療院では外気照射療法によって効果を挙げています。現在では治療法として広く認知されている鍼灸にしても、本を正せば仙人の仙術です。

これ即ち、仙術は病や死という運命の流れを変えられる、という事に他なりません。荒唐無稽な話と言えばそれまでですが、まだ科学や医学の手が届かない領域では、「氣」の方が頼りになる事も多いのです。


魔術や呪術の究極は、自己を人間以上の存在に変容させる事に他なりません。仙道の最終目標は内丹法によって不老不死の仙人に変容する事であり、悟りでさえ道の途中で起きる現象に過ぎません。

自己変容という一大変化を起こすより、ちょっとだけ自分の都合に合わせて運命の流れを変える事の方が簡単です。もちろん、何もかもが思い通りになる訳ではありませんが、本人の努力次第でかなりの事が出来ます。

高藤先生の仙道帝財術は、弟子達が仙道修行の時間を確保する為に体系化されたものですし、「氣」の感覚を利用した人間社会サバイバルテクニックにしても、必要以上に仕事で消耗しない為のものだと思います。


私も会社員時代にそれらのテクニックを試しましたが、残念ながら効果はイマイチでした。何故なら、私と高藤先生では性格が違うし、社会や仕事に対する考え方も違うからです。

私としては、部下や上司と正面からぶつかり合える人間になりたかったのですが、高藤先生のテクニックを実践しても、まずそうはなりません。むしろ、迷惑なぶら下がり社員になるような気がします。

遁世者となった今では、高藤先生の考え方もアリだと思うようになりましたが、それでもモンスター社員やハラスメント上司に対抗する為の魔法や呪術の類は、現代人に必要なものだと思っています。


我が国は少子化によって国力が衰退しつつあり、劣悪で知られる労働環境が改善する可能性もありません。そんな環境下で身勝手な連中の尻拭いなどさせられたら、あっという間に心身が擦り切れてしまいます。

私自身も上司や同僚に恵まれず、退職するまで酷い年月を過ごす羽目になりました。頑張るほどに仕事が増えて、使えない社員を押し付けられる理不尽さは、真面目な人ほど良く知っている事と思います。

日本では質の悪い正社員や職員を辞めさせるのが難しく、正攻法ではまず退職させられません。でも「氣」の流れを操作すれば、世の中を舐め切っている迷惑な連中に然るべき報いを喰らわせてやれます。


私がその術を開発したのは20代半ばから後半の頃で、自分が環境に潰される前に短期間で開発する必要がありました。その為、術としての完成度は最低で、骨を断たせて肉を斬るような真似しか出来ませんでした。

その後も必要に迫られて術を洗練させていきましたが、納得出来る完成度になるまで約20年かかりました。そして、洗練と研鑽の結果として、以下の法則を導き出しました。

「氣」は奇跡を起こす不思議なパワーでは無く、物理エネルギーに近い性質を持っているので、意外に現実的な法則が導き出されます。まずはこの法則を憶えていただきたいと思います。

氣の術法・三原則
⒈「氣」の術は因果律を超えられない。
⒉「氣」の術はエネルギー保存の法則が適用される。
⒊「氣」の術は肉体、氣、意識を一致させると発動する。


術法士の心構え

「氣」は計器の類で観測できないオカルトなエネルギーですが、どんな望みでも叶える魔法や、物理法則を無視して現象を起こす奇跡や、人生一発逆転のチートスキルにはなり得ません。

しかし、本当に「氣」を有効活用すれば、最先端の科学技術や、極められた職人技のように、信じられない結果をもたらします。高藤先生は「超能力」という売り口上を使っていましたが、流石に今の時代には合いませんね。

私も90年代のオカルトブームに魅了された者の一人ですが、高藤先生を知らなかったらオウム真理教に入信していた可能性が高いです。実際、高校生の時に「滅亡の日」という本を購入して、割と真に受けていましたから。


私がオウム信者にならずに済んだのは、既に知っていた高藤仙道の方が魅力的だったからです。だからオウムの虚実ごちゃ混ぜヨーガより、妙にリアルで努力すれば本当に出来そうな仙術を選んだのです。

結果的には仙人ではなく、もっと怪しい自称悟り人になってしまいましたが、それでも麻原彰晃の弟子になるよりはマシです。でも、オウム信者の気持ちも、全く分からなくはありません。

だって、最終解脱者を自称する自信満々な人から直接指導をしてもらったら、エゴに汚れ腐った現世とは違う世界が見えたり、今の冴えない自分を変える事が出来ちゃいそうじゃないですか。


自分や世界を変えたいという気持ちは分かります。かつては私もそう思っていたので、痛いほど分かります。でも、本当に変わると、別に変える必要は無かったと気づくのです。

本当に変えるべきは、自分自身の歪んだ見解なのです。偏見を正す努力をするだけで、世の中は全く違って見えるのです。本当に必要なのは歪み無き見解と、そこから生じる智慧であって、超能力や神秘体験では無いのです。

いくら神秘体験を積み重ねても、偏見は正せません。その二つには、因果関係が全く無いのです。それに、神秘体験(光明体験)をすれば悟れるという訳ではなく、悟ると神秘体験をするのです。


自分や世界はあるがままで完璧であり、その事実を腑に落とすのが悟りであり、祝福であり、救世であり、本物の神秘現象です。でも、それが分かった所で、相変わらず人間社会はエゴに汚れ腐ったままです。

つまり「氣」の術法とは、修行によって浄めたものを再び汚さないようにしたり、必死に浄めようとしている修行者を助ける為に、先人が編み出したものなのです。

修行者が行使する術は自他を利するものであるべきで、時には公(おおやけ)の為に巨悪を断つ利剣を振るわねばなりません。何故なら、単に己のエゴや気分を満たす為の術は、邪法黒魔術でしかないからです。


何が善で、何が悪かという問いには、明確な答えがありません。何故なら、善悪は人が下す評価であって、初めから物事に備わっている本質ではないからです。要は、物事を分かり易くする為のレッテル貼りなのです。

オウム真理教はタントラ・ヴァジラヤーナと称して、導師(グル)への絶対帰依を説き、弟子達を利用して敵を排除していきました。他のカルト教団も同様に、自分達の都合で善悪や敵味方のレッテル貼りをしています。

パッと見では正しそうに見えても、実際にはそうでもなかったり、後になって真逆と分かる事もよくあります。ですから「氣」の術を行使する時は善悪を思わず、然るべき結果を出す事だけに集中しましょう。


善悪を思うと、どうしても私情が入ります。その私情や、こうなって欲しいという願望を打ち消して、結果を出す事だけに集中する。そして出た結果は、何であれ受け入れる。これが学びや修行になります。

当然、全く望まない結果しか出なくて「ふざけんな!」と思う事もあるでしょうけど、それでも何もしないよりはずっとマシです。例え術という形であっても、自らが手を下し、干渉したという事実が大切なのです。

傍観者で居るのは楽ですが、次に繋がりません。経験を積まなければ思考力や判断力を養えず、ただ何となく時間が過ぎていき、気づいたら老いて何も出来なくなっています。


術法士の修行法

これから説明する「氣の術法」は、悪党共を支える悪運を断ち、然るべき報いを受けさせる為の術です。難易度の高い術ではないので、必要なのは「氣」のパワー「氣」の感覚と、最低限の注意深さくらいです。

「氣」のパワーを強化するには、一日20~30分ほど站樁功(たんとうこう)太極拳をしたり、手すき時間に架式(姿勢)の低い馬歩站樁を行うと良いでしょう。気功教室か中国拳法の道場に通えば、上達が早まります。

因みに、坐禅(丹田禅)でも「氣」のパワーを強化する事が出来ます。ある程度まで「氣」の感覚を磨けば、氣感が正しい姿勢を教えてくれるので、禅寺で参禅する必要はありません。


高藤仙道の本を持っているなら、気功か坐禅を修行しつつ、仙道帝財術華僑金儲け術を実践してください。実際、私自身もそうしました。要は「氣」の流れを引き寄せるのではなく、そのをやれば良いのです。

後は秘術!超能力気功法奥義のP159に出て来る山口君の術に、先に説明した氣の術法・三原則を加えて、自分なりに整えれば完成です。この本は現在でも、書店やアマゾン等で購入できます。

術について無料で公開できるのは、ここまでです。ここから先の有料エリアでは、術の概要と、私が発見したちょっとしたコツと、高藤本では言及されていない霊的トラブルシューティングの話をします


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