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【京都芸術大学】 情報 単位修得試験の全文公開

はじめに

 情報の単位修得試験で記述した全文を公開します。
このままコピペして提出すると不可になるかもしれません。
課題内容は当時のものであり、現在の課題内容とは異なる場合があります。
ご自身の単位取得試験での記述に、参考としてご活用ください。


課題

 一般的に「デジタルデバイド」とは、「インターネットなどのデジタル情報にアスセスする能力や頻度が社会的階層(集団)によって異なること、またこの結果、各階層のあいだに経済的・社会的な格差がひろがること」であると言われています。
ただし、この問題はそう単純なことではないようです。 我が国 日本の現状を例にしながら、私達が考えて行かなければならないこれからの「デジタルデバイド」の問題について述べてください。
(800字程度)

本文

 一般的な「デジタルデバイド」認識には、デジタル情報へのアクセスの普及拡大がそのまま 経済の成長・知識の増大につながり人々の幸福にする、という前提が置かれている。しかし、インターネットへの自由なアクセスにより情報を多く獲得できたとしても、情報過多によって解釈できず余計な混乱を招く場合がある。また、既存の情報を集めることに終始し、思考力や独創性を失う場合も考えられる。
 近年、学生が提出するレポートにインターネット上からの盗用・剽窃が行われていることが増えた(いわゆるコピペレポート)という問題がよく話題に上がっている。レポート作成に関する知識不足によって、引用と盗用・剽窃の区別をつけることができない、という側面も存在するとは考えられる。しかし、インターネットを扱いなれているが故に、「どこかから持って来た意見をそのまま自分の考えとして発表するということ=思考するということ」になっているのではないだろうか。そしてそのことに対して違和感などはなく、むしろ普通だと考えているのかもしれない。
 SNSでは、他者のコメントをそのままもしくは語尾などごく一部を改変して投稿すること(いわゆる「パクツイ」)も頻繁に行われており、他者のコメントを自分のSNSに表示させる機能(リツイート)も存在する。多くの情報や意見を見ることができるという便利さは、反面、自分で考えだす必要がないという状況を産みだし、むしろ既存の意見の中から自分で選択することが「思考する」ことだという 認識になっている可能性もある。この状況になれてしまうと、自分自身で新しいことを考え出したり、ものごとを応用したり発展させるという能力が低下してしまう。これも立派なデジタルデバイドではないだろうか。このような側面があることを念頭に置きつつ、インターネットから得られる情報や意見に「自分が使われる」のではなく、情報や意見を「自分が使う」よう意識をもって行動することが必要である。  

(解答文字数813文字)


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