2022/8/17チケットと生
チケットというものがある。
チケットは何かモノやサービスと交換できる。
あるコミュニティでは
”お金を持っている人がすべての料金を払えばよい。”
という考え方があるらしい。
私もその考え方には賛成であるがみんながそんな考え方では資本主義は成り立たない。私の生活も成り立たない。
資本主義が正しいとは思わない。
資本主義の恩恵を受けている人をうらやましいとも思わない。
資本主義であれば健全であるかもしれないが
資本主義でなければ恩恵は健全ではないと思う。
お金をチケットとして考える人がいる。
お金をすべてのモノコトと変えられるチケット
とは考えないで
お金とある一つの商品と交換するためだけにお金を集める人がいる。
端的に言えばその人はホームレスである。
仕事はしていない。
わけではなく
お金を拾ったり魚を釣ったり雑草を拾ったり炊き出しに並んだりするのが仕事だそうだ。
生活に必要なものは基本ゴミで出ているものを拾って生活に取り入れている。
ただある飲み物だけはゴミとして捨てられることはないらしく。
その飲み物のチケットとしてお金を拾うらしい。
そのため1日に数百円で事足りるそうだ。
ちなみに1日拾い歩くと大体1,000円くらいは手に入るそうだ。
お金のために働くことを嫌い
生きるために働くことは意としない姿勢が感じ取れる。
その生活も大量消費大量生産があるおかげで成り立っているのも事実である。
しかし資本主義がなくなっても彼らは生きるための姿勢を変えないだろう。
”人はお金の価値がなくなると
新たなお金に代わる価値の大きいと思うモノを求めるだろう。”
とその人は言う。
そのあとに
”私は何にも代えられない私の生を求めるよ”
という。
私の解釈ではあるが
人々と彼らの生きることの根源的な違いは
何にでも代えられるモノを求めるか
何にも代えられないモノを求めるか
だろう。
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