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観劇遍歴の話・前編

 よく舞台を観に行くというとしばしば聞かれるので、好きになった経緯、きっかけの作品についてなど棚卸してみます。画像はニューヨークのThe Drama Book Storeという舞台の台本の専門店の店内ディスプレイ。正直何を表現しているのか分かりかねるけれど魔法感があってめちゃくちゃかっこいい。

 舞台作品というものを見た最初の記憶は、恐らく4歳頃、親が買ってきたバレエ舞台のビデオ。くるみ割り人形のねずみの王様が多頭タイプで怖かったこと、各国の出し物シーンで眠くなること、は今でもはっきりと覚えている。それよりも、チュチュや金銀の縁取りやティアラといった衣装の感じ、トゥシューズそのものにも強く憧れてバレエがやりたいと思うようになった。ところが、せっかく連れて行ってもらったバレエ教室の初日で自分の勘違いをきっかけに大泣きするというトラブルのため断念、同じ建物のヤマハに通い始め、これは現在のパイプオルガンへつながっていきました。
ピアノ、からのパイプオルガン|もーん (note.com)

 とはいえ、そもそもそんなビデオが家にあるくらい舞台好きの母親の影響も少なくない。オペラ座の怪人やキャッツのトレーナー、現地のバレエ団のポスターが身近にあった環境でした。一方で、幼稚園の出し物で初めて舞台に立つということがあったものの、自分が演じることやスポットライトに当たることには楽しさを見出せず。それよりその準備、衣装や道具、立ち位置の関係といった演出のようなところ、人が練習するにつれて演じ方が変わっていくのを見ている方が面白かった。
 その後、小学校でプロの劇を観せてもらう機会があったものの、体育館のせいか、子ども向けの教育的な内容を嫌うお年頃か、記憶にはほとんど残っていない。にもかかわらず、狂言の授業やその他発表もので劇を作りがち、台本を書くのは楽しいが自分が演じなければならないのが辛い、というのを繰り返していました。巻き込まれてくれたクラスの人には感謝しかない。

 シアターゴーヤーになる直接の転機は中学・高校で観せてもらった各種。体育館と違ってちゃんとした箱だったのもあるし、みんながみんな突然の歌や演劇特有のセリフ回しを笑うような年齢でも層でもなかった(女子進学校)のも大きいように思います。ダイジェスト版カルメン、オペラの舞台、ホセが生き残るのが許せないという話で持ち切りだった観劇後、「あの赤ライトすごくない?うちの照明マジええねんで」という演劇部の子の熱弁が忘れられない。以降、ライティングもかなり気になるようになってしまった。
 そして、衝撃をうけたのが演劇「12人の怒れる男たち」。最初は、陪審員制度というものからして知らず、抑揚の強いセリフ回しや大きな身振りが慣れず、舞台には長机を囲んだ普通の服を着た男性たちがいるだけで、さてどうしたものか、と思っていました。ところが、話が進んでいくにつれて、その展開の鮮やかさに引き込まれ、クライマックスのナイフの登場からの終わり方のカッコよさ、潔さに鳥肌が立ちました。何という劇団だったのか覚えていないのが心残り。ミュージカルやオペラだけでなく、こういうのもめちゃくちゃ面白い、たくさん観たい、と思うようになりました。

 大学に入ってから、映画作りや映画に夢中になり、大学の演劇を結局一度も観に行かなかったのが今となってはかなり悔やまれる。ただ、NHKのプレミアムステージが毎週の大きな楽しみになり、そこで初めて宝塚に出会いました。
後編へ続きます。

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