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円環する円盤の物語

 僕たちがいつから此処に棲みついたのか、それが判る史料は存在しない。或いは隣の隣の、そのまた隣の小世界〈リージョン〉に在るというセラエノ窮極図書館になら、その答えはあるのかもしれない。だが今やリージョン間を繋ぐリニアは運行を止めて久しく、最早断片世界〈シャード〉と呼ぶのが相応しいという者もいる。
 果てしなく続く都市の様な構造群。たまたま僕たちの居住に適した形をしているだけで、ひょっとしたらこれは自然に生えた森なのかもしれない。ン・ガイ樹街地。それが僕たちのリージョンの名だ。
 太陽は常に軸方向の大地から顔を覗かせている。朝も夜もなく、あるのは永遠に続く黄昏だけ。縁方向に視線を転ずれば、やはり永遠の星空が広がっている。凍結ライン上に存在するン・ガイ樹街地は常にエネルギー的に逼迫しており、稀に起こるフレアをキャッチ出来なければ住民の全滅に繋がる。それほどの綱渡り的生活であるにも関わらず僕たちが幾世代にも亘って居住を続けることが出来たのは、ひとえに『万物置換機〈メルキゼデク〉』の力による。
 ところが最近、この神様〈メルキゼデク〉の調子がおかしくなっている。パンを注文したはずが出てきたのはスパナ――これはまだマシだ。スパナも焼けば食べられる。ガソリンを頼んだら出てきたのは石炭――これも別にいい。炭素が入っているからどちらも似たようなものだ。
 問題は船や車やコンピュータなどの複雑なものを頼んだ時だ。出てきたのは黒く名状しがたいロボットで――困ったとことにこれらが住民に対して攻撃的なのである。住民の十分の一がやつらに閏死させられた時、ついに長はン・ガイ一の賢者、『博士』に助力を扇いだ。彼女は極寒の凍結ラインの外に棲む変わり者で、長の話によると三世代程前から見た目が変わっていないのだという。自らを『博士』と称し、樹街地には決して踏み入らないが、こうやって難事が発生すると対価を持って彼女の所に解決を依頼しに行くのだ。
「ドライバの更新が必要ね」
 長と共に博士の元に向かった僕は、非現実的なまでに美しい彼女に見惚れて、余りにも現実的なそのセリフを聞き逃した。
「なんと……」
 長がとりあえず大仰にのけぞってみせた。僕はといえば口をぽかんと開けて今聞いた言葉を反芻していた。ドライバの更新?
「ええ、あれは遥か太古のテラフォーミングコンプレックスの基幹部ですから。およそ三万太陽日毎にシステムをリセットするの。平均的な惑星居住可能化までの日数がそれくらいだから。あの黒い蟲みたいな機械は、テラフォーミングのための土木作業ボットよ」
 説明書をそのまま読んでるような解説を淡々とする博士。
「いやでも、ドライバなんて何処で手に入れれば」
 驚くことで精一杯の長に代わって僕が質問すると、博士はずいっと手を出してきた。ここからは更なる対価が必要らしい。長が渋い顔で頷いたので、僕はバックパックから無重力ふりかけ(無重力空間でもごはんにふりかける事が可能なふりかけ)を1ダース渡した。ああ、もったいない。あれだけあれば僕の家族が一ヶ月は暮らせるというのに。
「テラフォーミングコンプレックスを製造していたのは惑星開発公社だから、その跡地に行けば今も恐らくメトセラ社員達がドライバを配布しているはず」
 彼女は無重力ふりかけをそそくさと仕舞いながらそう言った。そんなこと言われても、惑星開発公社とかいうもの自体初耳なのだ。
「惑星開発公社はここから回転方向に向かって2.5天文単位くらい先のリージョンに存在するから、そこまで旅していくしかないね。ここの技術レベルじゃあそこまで通信出来る設備建てることも難しいし」
 そういう訳で探検隊が組織され、僕は光栄――不幸とは口が裂けても言えない――にもその一員として抜擢されたのだった。僕は暗澹たる気持ちで隊員の面々を見渡す。今にも裏〈アノヨ〉へ逝きそうなゴンゾウ爺さん、血気盛んなラバン、長のところの退屈四男坊モンドノスケ、樹刑衆ネハン、そして僕。これは体の良い口減らしでは?
 実際樹街地を救う旅だというのに見送りに来たのは僕の姉実体だけだった。三親は最近住居と癒着しており動けなくなったのだ。別れのガス交換を行いながら、何となくもう僕は姉実体と会うことはないのだろうと思った。そしてそれは事実となったのだ。
 さて、前置きが長くなったがここから先は旅の途中経過のログである。これを読んでいる貴方は恐らくン・ガイ樹街地の住人ではないだろう。生きて帰れたのなら僕はこれを捨てるつもりだからだ。

――出発から100太陽日

 測距計によればン・ガイからここまでの距離はおよそ130万km。ここに到達するだけでも恐ろしい光景、口に出すのも書き記すのも憚る街、在り得ざる種族らと邂逅してきた。だがこれでも目的地までの1/300にも満たないのだ。

――出発からおよそ500太陽日

 この回路都市に迷い込んでから幾日が過ぎたのだろうか。巨大電子たちは僕たちを無視するくせに接触するとその身に宿した電荷で酷く表皮を炙った。
 ――今日、ラバンが死んだ。初めての旅の仲間の閏死。英雄的最期であったと明記しておく。

――出発から恐らく800~1000太陽日

 偽タンホイザーゲートを通り過ぎた時からだ、僕の第七菌肢が時々反応を返さなくなったのは。だがこれでも皆と比べればまだマシな有様だ。特にゴンゾウ爺さんが酷い。
 全てが白亜の骨で造られたリージョンを通過中。住人も骨で出来ている。僕たちに適合した医療品があれば良いが。

――出発からの日数不明。ン・ガイ樹街地からの距離1.5天文単位

 久し振りに文明化された都市に入城する。凍結ラインの外側に存在するこの巨大リージョンは『木星』と呼ばれており、水素とヘリウムの大気の中で様々な形而上生命体が活動を行っている。今は『WW』と呼ばれる一種の祭りの最中で、様々な陣営に別れてリージョン内の建造物を破壊するのを競い合っていた。戦闘に巻き込まれてネハンが菌肢を三本失う。

――出発からの日数不明。ン・ガイ樹街地からの距離不明。

 僕たちは重力井戸の底で回転する特異点というリージョン内に暮らす人々に助けられた。ネハンがスパゲッティ化して閏死した。この記録を残す意味を僕は見失いかけている。

――不明。不明。

 とにかく回転方向へと進む日々。直径数kmの巨大建築物が立ち並ぶ立体都市リージョンで今僕は記録をつけている。巨大な建物の中は空虚で、誰も住んでいない。椅子すら数百メートルのちょっとした山の如き威容を誇っている。食い物もデカけりゃいいのにな。ゴンゾウ爺さんを背負いながらモンドノスケが皮肉めかして言った。

――"â��â��ä¸�æ��ã��ä¸�æ��ã��"

 破滅的光景を目撃する。回転体防衛機構をすり抜けた小惑星の激突だ。マグニチュード10クラスの揺れと高速プラズマ雲が一帯を襲い、そして夥しい量の破片が再び隕石となって降り注ぐ。防衛機構に見逃される位だから恐らくは小物だろう。この世界ではありふれた事象という訳だ。激突の影響は数百太陽日の間続いた。

――分からない。わからない

 回転方向から、軸方向へと進路を切り替えて暫く経つ。僕の第七菌肢が剥離したのはこの道中だった。ゴンゾウ爺さんの屍実体は途中にあった森林地帯に埋めてやった。モンドノスケとの二人旅だ。遙かなる故郷、今はもう思い出すのも難しい彼の麗しきン・ガイ樹街地にいた頃、僕はこいつの事が大嫌いだった。長の子実体であることを傘に着る実に嫌なやつだったから。だが今は数千太陽日も苦楽を共にしたかけがえのない仲間だ。
 互いに励まし合いながら、錆びた鉄骨ビルが林立するリージョンを恐る恐る抜ける。謎の狙撃手に付け狙われ続けたが、二人共とりあえず命はあった。

――許さない許さないゆるさないゆるさ

 モンドノスケが逃げた。食料全てとこれまでに記録してきた地図を持って。追おうかとも考えたが、ここで旅を中断するわけにはいかない。閏死していった仲間たちに顔向け出来ない。進まねば。

――判読不能

 (判読不能)いに僕は辿り着いた。(判読不能)―ルを背景に、ギラつく太陽に炙られて(判読不能)。(判読不能)社には博士の言った通りメトセラ社員が稼働しており(判読不能)。ドラ(判読不能)する。
 これ(判読不能)街地に帰って、(判読不能)それは決して訪れないはずの『朝』の光の中、

 私はその一冊の古文書をそっと閉じると、地面に目を落とした。
「これが、裏世界〈ターンサイド〉から流れ着いたという?」
 目の前の美しい女性は頷くと、私の可聴域を超えた音波で何事かを喋った。翻訳機が作動する。
『その通りです。これは、旧惑星開発公社遺跡のエレベーターシャフトから回収されました。著者は見つかっておりません』
「つまりこの本の中に出てくる『ン・ガイ樹街地』がどうなったかは分からない、と」
 円盤世界――所謂オルダーソン円盤と呼ばれる超巨大建築物は今から凡そ十万年前に太陽系に構築された。始祖星・地球の数兆倍の広さを持つディスクに、途切れること無くどこまでも都市構造が続いている。円盤世界は裏表どちらにも住めるとは言い伝えられていたが、長らく裏世界は神話の中の存在として認知されていた。それが近年、文明の進歩に伴い地底探査技術も飛躍的発展を遂げ、どうも数十万キロメートル地下に表世界と全く同じ広さの巨大世界が存在するという証拠が多数発見されたのだ。この古文書はそれを裏付ける無数の物理的証拠の一つである。
 そしてここ十数年、この円盤世界を揺るがすある問題に対処するために裏世界探査は急務とされていた。
『あの兵隊蟻〈レギオン〉はこの古文書に出てくるテラフォーミングボットと同一存在なのかはまだ判明していません』
「それを確かめるための探検隊を送り込む、と」
 今この世界は滅亡に瀕している。兵隊蟻〈レギオン〉と呼ばれる無数の機械生命体に蹂躙されているのだ。奴らは建物を砕き、何らかの巨大構造物を築きつつあるが目的は一切不明だ。問題は人類の存在圏に対して太陽光を遮断する位置にそれが造られていることだった。兵隊蟻の所属が惑星開発公社製であるとは早期に判明していたが、表世界ではそれは数千年前に滅んだ遺構として知られていた。
『裏世界では惑星開発公社は未だ健在であると、この古文書――「ン・ガイ手記」によって示唆されており、そこで何らかの情報を入手してきて欲しいのです』
「光栄な申し出だがね……」
 確かに私は探検家だが、これはほぼ死出の旅路へ送り込まれるようなものだ。このン・ガイ手記の著者のように。
『拒否する、と?』
 美しい女性は冷たい目をして私を見据える。
「いや、受けよう」
 表世界はいくら広大といえども、とっくの昔に全土が調査されており人跡未踏の地など最早存在しない。探検家とはようするに定期的に都市辺境に出向き人口調査をする公務員のような存在だった。だから、今回が私にとっての初めての「探検」だ。
 私はン・ガイ手記の表紙を撫ぜる。
 彼の、彼らの見たものを私も見たい。そして、願わくば彼等の悲願も──。
 政府には悪いが、私が表世界に還ってくることはないだろう。そのつもりがないからだ。私は冒険の手記を書こうと思いつく。ン・ガイ手記の後に続く物語を私が引き継ぐのだ。
 そんな私を政府からの使い──確か『博士』と名乗った──は静かに見つめていた。

【続く】
 

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