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ドリルソフトは学習支援員を超えられない。


前回、学習支援ソフトととして未来シードを取り上げた。ちょうど他の市町村でこのソフトを使った公開授業があったので覗いてみた。そこで衝撃が走った。

ある程度授業が終わり、その問題を理解しているかどうかをドリルソフトで復習している場面だった。

ある児童の画面をみるとその児童は与えられた課題ではなく、もうだいぶ前に終わったであろう問題を何度も解いている。なぜだろうと思ってしばらく見ているとあることに気づいた。解答するごとにポイントが加算されているのである。必死にポイントだけを追いかけている。

しばらくすると他の子どもたちからも何ポイント達成という声が聞こえてくる。その児童たちは、与えられた課題を解いたことでポイントを得ているのであるが、ポイントだけを見てみると課題ができたかどうかは関係なく何ポイント持っているかで自慢しあえるのである。

しばらくすると他の児童を見ていた学習支援員がやってきて、話をしている。やっと与えられた課題を説明を受けながら解くようになった。問題自体はそう難しい問題ではなかったのだが、授業で理解していないので、最初から取り組むことを放棄しているのである。でも、その子にもプライドがあるので、いかにも問題を解いているかのように、そしてポイントで差がつかないように彼なりの学習を行っていたのである。

学習支援員さんは当然その子どもの特質や学力も知っているので、その子に応じた学習支援ができる。そして、ドリルソフトとの大きな違いは言葉で褒めることができるということである。

最近のドリルソフトはAI機能が入っているということを売りにしているものが多いが、その子の特質まで判断するレベルには達していない。ましてはどういう声掛けをすればいいのかなんてわかるわけがない。何十年たったとしてもそんなソフトはできないのかもれない。

その子に寄り添って学びを促すなんてことは、教師や学習支援員以外に機械では到底無理であろう。単純に間違った問題について、誤答を分析して機械的に他の問題を出すことは可能であろうが、本当にそれがその子に合った問題かどうかは分からない。学習支援員だってもしかしたら違った問題を出しているかもしれないが、その子にとっては、自分のために考えて出してくれた問題だと理解するし、もし合っていて褒められたら、ちょっとばかしはやる気になるだろう。やはり、学習の苦手な子にとっては、ぬくもりの学習が必要なのである。

まだまだ、ドリルソフトは学習支援員を超えられないだろう。

が、一方、前にも書いたが、学習の得意な子どもにとっては、次から次に問題が出て知的好奇心を満たしてくれるこのドリルソフトは子どもの可能性を限りなく伸ばしてくれる魔法の学びかもしれない。

やはり、個に応じた授業といいながら、タブレットを使うとなると全員がタブレットを使う授業は見直しが必要かもしれない。それは教師の力量を問われることになるかもしれない。それぞれの子どもが自分の学びを選択して学ぶ環境になるのが理想なのかもしれないが、現実には難しい。

次回はもう一つの支援ソフトを探ってみたい。(続く)


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