見出し画像

学びが楽しい子供を育てたい

勉強は楽しいですか?この質問に対して、子供たちが一斉に「YES!」と即答できるでしょうか?もし即答できない場合、私たちは教師失格かもしれません。この表現は大袈裟かもしれませんが、内心ではそれほどでもないと思っています。なぜなら、勉強を楽しくするアイデアやツールはたくさん存在しており、なぜ楽しくないのかを考えてみました。

楽しくない理由を考えてみると、以下の要素が浮かび上がります。

①できないまま新しい学習へ進むこと
→一斉指導では個別支援の限界がある

②家庭環境や教育格差
→一斉指導では個別支援の限界がある

③障害への柔軟な対応の有無
→一斉指導では個別支援の限界がある

④メタ認知力
→これまでの日本型教育では必要とされていなかった

⑤心理的安全性
→軍隊由来の教育では不要だった

⑥自己決定の不足
→言われた通りにすることが良い子とされていた

子供たちは「先生、何をすればいいですか?」と真剣な表情で尋ねてくる一方、遊んでいる子に声をかけると「何をすればいいのかわからない」と言います。私は個人的には、「やるべきことが終わったら、自分のやりたいことをすればいいんじゃないか」と考えてしまいます。

しかし、その考えに対して「子供が何をするべきかを示す必要があるのは、子供が子供である証拠であり、彼らに空白の時間を与えることはできない」という反論があるかもしれません。私も子供の頃、そこまで自己決定ができたかと問われれば、NOと答えるでしょう。

ですが、それこそが今必要なことだと思うのです。このような教育がマイノリティだったために、何万人もの落ちこぼれが量産され続けてきたのではないでしょうか。

また、「では、やるべきことが終わったら、タブレットでゲームをしたり、お絵描きをしてもいいのですか?」と言われるかもしれませんが、教科の学習にそもそも興味がもてていないという課題と、子供たちが学び方を知らないという課題の混在、しいては手段が目的化していそうです。その行為自体ではなく、タブレットなどを使ってまたはそのゲームを使って何を学ぼうとしているのかということが子供自身にあるかないかということこそが大事なのではないでしょうか。

子供たちが自立するためには、発達段階も重要ですが、小学校中学年になれば算数のような正解不正解のある科目もありますし、積み上げ式の学習を自由に取り組ませることが良いのではないでしょうか。もちろん、低学年では難しいかもしれませんが、年齢に制限はありません。できる子はできるということが正しいのです。その時に、できる子が足踏みしているのは非効率であり、その子の成長を妨げているとも言えます。だからこそ、学校全体で自由進度学習を実現する方法を模索する必要があります。

その目標は、子供たちが自分自身で課題を見つけて解決する過程を通じて、メタ認知能力のスキル、自己決定力、課題発見力、問題解決力、自己肯定感、そして主体的に学ぶ態度を身につけていくことにあります。これが令和時代の日本の教育に求められているのではないでしょうか。

今こそ、マイノリティな指導方法に注目し、積極的に試してみるべきです。その背景には、子供たちの学ぶ意欲を絶対的に高めるという目標があります。私たちは、子供たちの将来のために、新しい教育の方法を模索し、実践する必要があるのです。

ここから先は

0字

¥ 300