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今、あなたが何もしなかったらどうなるか、そのリスクを考えてください②

オンラインセミナーの後半は「GIGAスクールスペックならどこを目指すか」ですが、ここは今までにここで書いてきたことなので省略します。一つだけ触れておくと、

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オンラインディベートで使ったサービスをまとめたのがこのスライド。上が非同期、下が同期ですが、一つの実践の中で、同期でなければならないこと、同期でなければできないことって、そんなにないのではないでしょうか。教室だから普通に全員揃ってやっていましたが、本来、そんなに必要なかったのでは?というのが私からの問題提起です。

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休校中、色々な実践を子どもたちと進めてきて「これ、必要だよな」と思った力がこの3つ。「ポスト・コロナ時代に求められる教師の力」なんて大きく打って出ちゃいましたが、どうでしょうか。でも、今回のことで間違いなく世界は変わるし、社会は変わります。学校の教師だけがその変化と無縁ではいられません。何某か新しい能力は必要とされるでしょう。それはいったい何でしょうか。考える必要はあると思います。

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子どもたちが家にいて、自分のペースで学習を進められる環境にあって、学校は物理的な場ではなく、繋がるための触媒のような存在になっています。そんな学校は「いつ」「どこで」「誰から」「何を」「どうやって」「学ぶかを決められているところ」から「いつ」「どこで」「誰と」「何を」「どうやって」「学ぶかを決められるところ」に変わっています。

そんな大きな変化が起こっているのに、オンラインで目指すのが教室での授業の再現でいいわけがありません。

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例えば「オンライン朝の会」。よく行われているし、偉い先生もおススメしているし、メジャーなものになりつつありますが、私は批判的です。理由はここに書かれている通りですが、そもそも「個別最適化」の視点、ありますかね? あったら家庭にいる子どもをわざわざ引っ張り出してオンライン朝の会するでしょうか。顔出ししない子や、そもそも出てこない子、いませんか? それはなぜだか考えてみましょうよ。

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結局、なんだかんだで今までの学校教育において先生の存在はすごく大きかったのです。何か話せばそれは子どもの耳に届くし、それで子どもたちの学びをコントロールすることができました。そして子どもたちを大きく束ねてより良い方向へ持っていくことができました。私もやっていました。

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でも、今、教室に子どもはいません。子どもたちは家庭にいます。教師が大きな声を出しても、それは子どもには届かないのです。そういう環境にあって教師の存在は相対的に...

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小さくなります。そして子どもたちは自分のペースで、自分の興味や関心にしたがって学ぶようになっています。そんな状況にあるのに、オンラインで無理してFace to Faceの関係を築こうとすることにどれだけの意味があるというのでしょうか。

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そんな環境下にあって教師にできることは何か。寄り添うことしかないです。「どうした?この問題わからない?」とサポートする。別の子のところでは「運動不足だよね。こういう運動してみたら?」とアドバイス。また別のところにいったら「学習、進んでいないようだね。何か困っていることがあるの?」と聞いてあげる。そんな風にするよりありません。

普段の学校でそんなことはできません。一人一人にそんな風に関わる時間はないです。物理的に不可能です。でも、Teamsはそれを可能にします。学びが非同期で進んでいる環境下にあっては、時間をずらすことで子どもたち一人一人に寄り添うことが可能になっているのです。ですから学校は、

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から、

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へと変わっていかなければならないでしょう。私が訴える学校再定義は、これなのです。

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ポスト・コロナ時代、皆さんは“Face to Face”の教育に戻りますか? それとも、今回の危機を契機に図らずも足を踏み入れた「学びの“Side by Side”」を支える教師であろうとしますか?

何が正しいのか、本当のところはまだわかりません。私も考えていかねばと思っています。しかし、どの道へ進むにしても何もしないという選択肢はあり得ません。だから、もう一度、書きましょう。

「今、あなたが何もしなかったらどうなるか、そのリスクを考えてください。」

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