ASD カミングアウト

10年ぶりに一人暮らしし出した途端 自分のアスペルガー傾向に毎日毎日向き合うことになった これが必要だったのだと思う 過集中とか その反面のうっかりとか 偏食とか 感覚過敏/神経質の反面の 無頓着とか そういうの。 30歳になった時に もう一人暮らしはやめよう、これからは人と一緒に生きて行くんだー、人の中で生きていきたい と思って 共同生活とか試したが 自分とちゃんと向き合っていない限りは どうにもうまくいかなかったような・・・・ カナダでは「みんな違って当たり前」から始まる価値観は居心地がよかったけれど 国家とか政府とかの行政的な手続きと世渡りという部分で ASD持ちの外国人が一人でやりくりするというのは本当に大変で (他人の協力や連携なしには行えない部分なので) アトピーと鬱っていう典型的な二次障害を抱えて帰ってきて 20年ぶりくらいに心療内科に行って やっとASDの正式な診断をいただいた。 自国籍のある場所で国民の特権を 享受できることは最低限の暮らしを保障されるという点で助かっているが それはただ「成人したらただ生きているだけでお金がかかる」社会でなんとか 生き永らえられる、という最低ラインで 感性と知能のある人間が一個人として自己の技能と社会性を活かしながら 己の命を輝かしていくか という至上命題は解消されない 「最低限度の保障」があるだけでも 障害が認知されなかった頃よりは良いのか。 文明が進化して つまり学問も技術も高度に進化して 生き方も価値観も多様化を辿る現代において 日本国憲法が成立した頃の 「健康で文化的」の尺度さえも個人差が甚だしい中で 「一般」という枠との擦り合わせが上手にできない存在が それでもその中で日々もがきながら 生きる喜びや楽しみを見つけられるよう できるとこからコツコツ、ぼちぼち・・・ 細く長く・・・

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