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映画『ラストナイト・イン・ソーホー』のなかの「Research」

昨夜「ラストナイト・イン・ソーホー」を観た。レイトショーで観たのだけれど、上映終了時間から最終電車まで数分しかなかった。映画みたいに夜の街を駆けて、終電に飛び乗ったのは何年ぶりだったろうか。

この映画はロンドンのウエストエンドの一角にある、ソーホー地区を舞台にした物語だが、ざっというと、田舎から出てきてロンドン・カレッジ・オブ・ファッションに入学した少女エロイーズが、寮生活になじめなくてアパートで一人暮らしを始めたところ、そのアパートはいわゆる事故物件で、幻影を見る能力を持っているエロイーズは、60年代のソーホー地区を幻視し始め、歌手志望のサンディと名乗る少女と同化して、当時の出来事を追体験しながら、彼女の身に起こった殺人事件の真相を突き止めていくという、タイムリープ・サイコ・ホラーである。

この映画の中に、印象的な図書館のシーンが出てくるのだが、それはエロイーズが殺人事件について調べるために、過去の新聞記事を遡って調べるシーンである。

今どきの映画によく出てくる調べもののシーンといえば、スマホでググるといったところかもしれないが、エロイーズはカレッジの付属図書館へとおもむき、ライブラリアンに相談をして、新聞のマイクロフィルムをリーダーでたどるという、アナログ的な情報探索をするのである。

ちなみに、60年代でロンドンで起きた殺人事件を新聞記事で調べようと思ったら、どういう手段が考えられるだろうか?

代表的な手段としては、たとえばBritish Library(BL)が提供する、British Newspaper Archive があるだろう。ネットからの利用はいろいろ制約はあるものの、BLまで直接行けば、館内ではFullAccessで利用できる。
あるいはLondon Times ならば、60年代はもちろん、創刊号から収録されているデータベース、The Times Digital Archive があり、導入済図書館ならば、こうした手段で効率的に調べることができるだろう。でもこの映画のなかでは、あえて新聞のマイクロフィルムを巻物状にたどっていく、という手段が描かれている。

いささか古めかしい手段に見えるかもしれないが、こんな調査方法の描写になっているのは、パソコンやスマホの画面だったら面白くないからかもしれないが、この映画の中ではそれ以上の大きな意味を持っている。

ただあのシーンは、マイクロリーダーを使ったことのない人にはあまりピンとこないかもしれない。デジタル表示された数字が上がり下がりするシーンがあるのだけれど、あればマイクロフィルム・リーダーのコマ数表示である。マイクロフィルムやそのリーダーには検索機能はないので、年代や日付を目安に、目視で追っていくことになるわけだ。

ダイヤルを右に回したり左に回したりして、先送りしたり遡ったり、あるいはまたダイヤルの回し加減で、素早く飛ばしたりゆっくり流したりと、液晶モニターのスワイプにも似た、機械式の操作で探索をするのである。

エロイーズは「サンディの本当の名前を調べるために、当時の新聞を調べているの」と語っているが、たしかに新聞記事は人名を調べるのにも役立つ。例えばTimesには非常に充実した訃報欄があるので、The Times Digital Archiveも人名で検索すれば、人名事典・人物情報データベースのような使い方もできる。だがここでは、人名で検索してその人について調べるのではなく、逆に出来事から人の名前を割り出そうとしているわけだ。この場合は該当しそうな事象の方から目視で追っていくことになる。

しかし残念ながら、こうした手作業によっても調べている女性の名前はわからなかったようだ。でもその一方で、一見関係ありそうななさそうな、「60年代のロンドンで」、特に「ソーホー地区で行方不明者が云々」みたいな、あやしげな記事が散見されるという状況が描写される。

エロイーズにはこれらの記事がおそらく目に焼き付いたのだろう。だからそれらが後々、クライマックスの回想シーンにおいて再現され、個々の新聞記事がつなぎ合わせられるかのようにして、当時の状況が輪郭を現し始めるのである。

「検索」によって情報を個別に抽出しようとするよりも、時系列で情報を追っていくことで、あるいはいくつかの事象をかたまり、つらなりとして見ていくことで、隠れた真実が浮かび上がることがある。目当ての情報ズバリではなくとも、その周囲の、あるいは前後の関係しそうな情報を「ブラウズ」していくということが、時として有効だということである。

また図書館のシーンだけでなく、図書館に行く前の描写も有機的に機能しているように見える。エロイーズは図書館の利用に先立って、警察署に行っている。だがあまり相手にされず、失望して警察署を去ることになる。実際、図書館と警察というのは、ある意味で対照的なところである。警察に言ってもらちがあかないので、もっと身近な手段、開かれた情報を使って真相を明らかにしよう、というアプローチの変更が図られたわけだ。

エロイーズが警察署を去ると、吹き抜けの空間が映し出され、そこには書架が並んでいる。ソーホー地区のパブや寮、風俗街など混沌としたシーンと比べて、あの図書館の整然としたシーンだけは映画中でちょっと浮いており、警察署内の圧迫感とも対照的である

もっとも、警察署に行って相談したことは決して無駄ではなかったようだ。対応してくれた二人の警察官のうちのひとりは、カウンセラーのようにエロイーズの話しを注意深く聞くことで、彼女が抱える問題をクリアにするのを幾分手助けしたかのようにみえるからだ。

そのせいか、エロイーズは警察署では言葉を選びながら自分の胸の内を伝えていたのに、図書館へとやってくると今度はもっとストレートに自分のニーズを伝えている。そして続くライブラリアンとの会話も、ごくわずかなやり取りでだけである。図書館に来るまでに、何を調べればよいか、本人のなかでは明確化していたからであろう。

エロイーズは図書館のエントランスで、学生証を見せながらライブラリアンにこう尋ねている。「60年代の殺人事件や行方不明者を調べたい」と。

学生証とエロイーズの顔を見比べながら、「服飾科の学生がかい?」と面食らったように受け答えするライブラリアン。

ちょっと秘密めかしたかのように「リサーチ。」と答えるエロイーズ。

利用者の背景とテーマを重ね合わせつつ、「殺人事件を再現したグラビアとかか?」と想像をめぐらしつつ、インタビューするライブラリアン。

そんな会話のあと、情景はマイクロフィルムを見るシーンへと移り変わる。

日本の図書館での同じような場面だったら、おそらくはあまり出てはこないであろうこの「リサーチ」という言葉、字幕でも「リサーチ」となっていた。たしかに無理に訳語を当てはめるより、そのまま「リサーチ」としておくのが妥当だろう。まだ入学して数週間の新入生が、図書館に行って「リサーチ!」というのは、一見出来過ぎに見えるかもしれないが、英国では別に無理のない描写である。

「服飾科の学生がかい?」というセリフには、「あなたは専攻と関係のないことを興味本位で調べているのか?」といったニュアンスが感じられる。しかしそこできっぱりと「リサーチ」を答える態度には、「確固とした目的があって調べているのだ」という真剣さが反映されている。だからライブラリアンも、専攻と接点のある何かを調べているのだろう、と解釈して対応しているように見えるが、ここに両者の微妙な距離感が描かれている。

地域の情報や昔の新聞なら街のPublic Libraryで、という発想もあるだろうし、ロンドンだったら国立の大型図書館で奮闘する、という発想もあるかもしれない。しかしここでは自分のキャンパスライフの範囲内で問題解決を図ろうとしている。求める情報は、意外と普段の生活導線のなかにも存在しているものかもしれない。

実際、ファッションの専門学校の付属図書館であっても、昔の犯罪や事件を調べるのにも使えるということは十分あり得る。蓄積された情報というのは、光の当て方次第で、いろんな活用の仕方ができるものだからだ。だからライブラリアンも意外そうな顔をしながらも、「そういう目的なら他にふさわしい図書館がある」だとか、「ここにはそんなものはない」などと、門前払いしたりはしない。

そしてかごの中にどっさりと入ったマイクロフィルムの山。「翌年の分は自分が調べるよ」と手伝おうとする友人。図書館での調べものというのは、往々にしてこうやって時間と労力がかかるものだ。だからこそ調べがついたのか否か、判然としないうちに図書館は閉館時間を迎え、消灯し始める。いかにもありそうな状況である。(ただし本当のところを言うと、図書館は通常、閉館時間だからといって館内に人がいる間に消灯したりはしない。全員退館したのを確認してから消灯する。)

そしてさらに、薄暗くなった図書館にまで追手のように幽霊が現れ、リサーチは妨害されるかのように見えるが、このタイミングでの幽霊が出現が、事件の真相へと一歩近づいたことを暗示しているかのようでもある。

もちろん、図書館のリサーチ場面は途中経過に過ぎない。エロイーズは自分の見た幻視と現在の光景から、サンディの殺害とその犯人を確信し、いよいよ当事者から真相を聞き出そうとする。スマホはここではリサーチの手段ではなく、証拠保存のための小道具として用いられる。しかし話はかみ合わず、残酷にも仮説の誤りに気付く。そして真犯人から意外な真相が明らかにされる。

問題解決プロセスとしてみるならば、こういう筋書きはごく一般的な流れだ。人に聞いたり自分で調べたりしながら、問題を明確化し、それに応じたリサーチを行い、そして得られた情報を総合していく。時として誤りもあるだろうけど、こうしたプロセスのうちに、図書館を使いこなす知的技法が、無理なく組み込まれているように描かれている。

「ラストナイト・イン・ソーホー」におけるリアルな図書館像の描写には、おそらく脚本や監督を務めたエドガー・ライト自身の、図書館利用の実体験が生かされているのだろう。たぶん映画製作の時代考証などで、実際にライブラリーを使うこともあるのかもしれない。

主人公のエロイーズ役を演じた女優、トーマシン・マッケンジーも役作りのために、いわゆるスウィンギング・シクスティーズ(Swinging-Sixties 60年代ロンドンの若者文化)について、「かなりリサーチして詳しく調べたの」と、パンフレットに収録されているインタビューのなかで語っている。「当時公開された映画を観たり、時代的な背景について調べたり、音楽を聴いたり、監督から教えてもらったり、参考資料を推薦してもらったり」したとのことである。


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