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ケーショガール 第9話
ジャンプのススメ
次の日出勤した私はある違和感を感じた。
その違和感は例えば近所のコンビニがいつの間にか別のチェーン店のコンビニに代わっていたり、通学路で毎日会っていた犬を散歩しているおじいさんといつの間にか会わなくなっている事に気が付いた時のような、自分の生活に欠かせないかと言われるとそこまで重要ではないのだけれど、いつの間にか毎日の風景の一部にぽっかりと穴が開いている事に気が付いた瞬間の違和感に似ていた。
「今日の教育も古寺さんだけですね」
今日の私の教育担当である花がそう言うと教える受付の準備をし始めた。
花が何気なく発した言葉が少し気になり尋ねる。
「あの、花さん。今日もってどういう事ですか?」
「ん?ああ鈴木君の事です。彼ここのところ来てないじゃないですか」
花の言葉で朝からもやもやと私の視界を覆っていた違和感の正体が鈴木だとわかった。
確かにここ一週間鈴木の姿を見ていない。
始めはシフトが合わないだけかと思い、気にしていなかったが現在4連勤中の私がいくらシフトがずれていたとしても鈴木に合わないはずはないのだ。
「えっ来てないってどういうことですか?病気とか?」
花は表情を変えず自分のショップバックをガサゴソしながら答えた。
「違いますよ。飛んだんじゃないですか」
「飛んだ…」
仕事やバイトで連絡も無しにいきなり出勤しなくなる事がある。
それをバックレるやブッチぎるなど呼び方は様々だがここでは『飛ぶ』と言うらしい。
「1か月持ちませんでしたね。まぁ挨拶も元気なかったし、態度もあんまり良い方じゃなかったので、いつ飛んでもおかしくないとは思ってましたけど」
「飛びそうだと思ってたってことですか?」
「そうですね。この業界、飛ぶのなんて珍しい事じゃ無いですから。このお店でも何人もいましたし、見て来ましたから、あっこの人飛びそうだなってなんとなくわかるんですよ」
「そうなんですね」
「たぶん私だけじゃないですよ、吉ピーも高橋さんも他にも鈴木君をそう思ってた人、多いと思いますよ」
「それならなんで誰も止めないんですか?飛びそうな人を優しく引き留めようとかないんですか?みんな普段は良い人達なのに冷たくないですか?」
急にスイッチが入ってしまった私を花がキョトンとした表情で見ていると花の後ろの席から高橋の声がした。
「引き留めてどうするの?ずっと一緒に働こうって言うの?それって誰の為?」
「えっと…」
「私たちは部活で青春の思い出を作っているわけじゃないわ。仕事よね?生活が懸かっているわ。仕事って言うのはそれで人生が変わるの。古寺ちゃんが引き留めたことによってその人の人生が変わるのよ?あなたその人の人生に責任持てる?」
仕事を引き留める事が他人の人生を変えてしまう事だという高橋の言葉は二つの事を同時に理解させた。
一つ目は安易に優しいとか冷たいなどと言う感情で引き留めてはいけないという事。
もう一つは友達と仕事仲間の仲の良さの質の違いだ。
「責任は…持てないです」
「だったら辞めようとしている人間を無理に引き留めようとしない事ね」
高橋の言葉は社会人としての筋は通っているように思えたが、同時にそこはかとない寂しさも私に感じさせた。
シュンとしている私を見て花がニコニコしながら私の顔を覗きこみ、小声で「後でね」と言った。
この言葉の意味はこの後すぐにわかるのだった。
その日のお昼は花と高橋と店の近くの韓国料理屋に来ていた。
雑居ビルの一階にありあまりきれいとは言えない店構えをしている。
初めてのデートでここに連れてこられたらつらいなぁと始めは思っていたのだが、料理の味は絶品でまだ入社してから1か月と立たない私が既に5回以上通う程のお気に入りの店になっていた。
「古寺ちゃんまたユッケジャンうどん食べるの?この前もそれ食べてなかった?」
「良いじゃないですか。おいしいんですよこれ。私おいしいもの飽きるまで食べ続けちゃう癖があるんですよね」
「これと言ったらまっすぐしか見えなくなる古寺さんっぽいですね」
高橋と花が私を笑った。
注文を終え料理が来るのを待っているとニヤニヤしながら花が高橋に話しかけた。
「そういえば高橋さん」
「なぁに?」
「鈴木君の事なんですけどぉ」
「何よ。またその話?いなくなった人の事なんか話てもしょうがなくない?」
「そうじゃなくてぇ」
「だったら何よ、ニヤニヤして気持ち悪いわね」
「高橋さんさっき人の人生の責任取れないならやめようとしてる人間を引き留めるなって話してたじゃないですか」
「それが何よ。本当の事でしょ」
「じゃあ高橋さんは私の人生の責任取ってくれるって事ですよね?」
花が少し意地悪そうだが嬉しそうに高橋に尋ねる。
「はぁ?なんで私があんたの人生責任持たなきゃいけないのよ」
それを聞いた花は私の腕にしがみつきながら
「古寺さん高橋さんがひどいですー」
私は突然の花の行動にびっくりしながら訪ねた。
「ど、どういう事ですか花さん」
大げさに涙をぬぐうフリをしながら花が話し始める。
「あのね古寺さん、私が入社して独り立ちした頃の話なんですけど、ひどいクレーム客にあたっちゃって、もう辞めたいってその頃の教育チームのリーダーに相談したんです。でねそのリーダーなんて言ったともいます?」
「えっなんて言ったんですか?」
「絶対ダメだって。あんたはもっと仕事が出来るようになるのを私が保証するって、だからこんな事で辞めるなんて言っちゃダメ。私はまだあんたと働きたいよって。しかもわざわざ二人で呑みに連れて行ってくれて、一対一で言ってくれたんです」
「へー優しいですねその方」
「でしょ?優しいですよね。でもたった今私を引き留めたその優しい人に冷たくされちゃいましたぁ」
花がそう言うと私はその意味にすぐ気が付きハッと高橋を見た。
そこには呑んでもいないのに顔を真っ赤にして顔の前で手をパタパタとうちわ代わりに仰ぎながら店内のテレビに映っている韓流アイドルを見ている高橋がいた。
「ちょっと高橋さん。今の私の話ちゃんと聞いてました?」
花が高橋の顔の前で手を振りながらそう聞くと高橋は
「あっごめんごめんテレビ見ててちょっと聞いてなかった」
「高橋さん韓流アイドルなんか全然興味ないじゃないですか」
「あれ?そうだっけ?」
業務中に仕事を辞めたいと思う人間に対してを話していた時の高橋の印象は、そこに人情はない鉄仮面の女だった。
しかし今、目の前で照れているのを隠しきれていない高橋は人情で溢れていた。
「古寺ちゃん。朝の話、補足しておくわ。人生の責任はとれなくても自分がその人とまだ働きたいと思うなら、その気持ちは必ずしも我慢しなきゃいけないわけじゃないと思う。時には面と向かって伝える事で相手にとっても嬉しく思ってもらえたり、やる気に繋がる場合もあるみたいだから」
顔を赤らめてそう言う高橋を見て私は、仕事中の言動がその人の考えている事の全てと思うのは間違いだと学んだ。
「冷たくされたから私もう辞めたいですー」
「勝手にしなさい」
「あーんヒドーイ」
花はまた子供のように私の腕にしがみついてきた。
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