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面倒くさがり母、お雛様を出す。

雛祭り業務、着手


「立春にはお雛様を出すねんて。お雛様、早く出したい。」
初耳の知識を長女から聞かされ、2週間前から「早く早く」とせがまれていた。
「まだ、いいんちゃう?次の休みに出そうか。」
と言って、先延ばししてきた。

本音は面倒くさい。段ボール箱を2階から下ろしてきて、あの細々したパーツをセットしていく。出したと思えば、3月3日を過ぎればすぐに片付け。防虫剤とともにまた2階へ…。
その作業を思うと、雛祭り業務に取りかかるまでに重い腰がなかなか上がらなかった。

しかし、いよいよ2月も中旬。
重すぎる腰をようやく上げてみると、新たな発見や考えさせられたことがあった、というお話です。

お母さんは必要ありませんでした

我が家の雛人形はわりとシンプルなほう。それでも並べる道具や人形に持たせるものも様々ある。
男雛のあの帽子(纓:エイと呼ぶそう)を頭に載せて、細くて短い紐を結ぶ…。ただこれだけのことなのに、何度やっても帽子がグラグラ。
あぁ…こんなことなら、ケース入りの雛人形にしておけばよかった…と、後悔した年も。

しかし、今年は子どもたちが、
「自分たちでやる!!」
と張り切っている。
わかりました。任せましょう。

「お内裏様の帽子の紐、難しいわ。載せとくだけでいいか。」
ぷらん、と垂れた紐。二人で楽しそうに飾っていく。菱餅やひなあられを置くであろう高坏には、お菓子箱から出してきたカントリーマアムや塩分チャージを。
「3月3日に食べるねん。」
明日のおやつの時間には無くなっているのでは…なんて思いつつも、子どもの柔軟な発想は面白い。
そして、人形を出した後の空の段ボール箱は子どもたちで2階へと戻していた。

雛人形を出すのは私の仕事だと思ってたのに、いつの間にか子どもたちでできるようになっていた。

誰のための雛人形?

私が子どもの頃、家にはガラスケースに入った雛人形があった。綺麗なお雛様や三人官女、美味しそうなご馳走をうっとりと眺めていた。触ってみたいな…。

そんな思いもあり、娘の初節句には自分で並べるタイプの雛人形を選んだ。ただ、飾るスペースや手間の事を考えて男雛と女雛だけの、シンプルなものを。

初めの年には私が全て飾りつけ、ハイハイをしていた娘に見せた。
それから2,3年後、娘も人形と目の高さが同じになり、人形や扇子を触って遊ぶように。ある日、雛人形の髪の毛に何かを引っ掛けて一部がボサッと出てきてしまうという小さな事件が起こった。
「お雛様は触らない!!」
と叱った覚えが。

綺麗な状態で飾っておきたかったのに…。
当時の私はそんな心境だったはず。

ただ、今年の子どもたちの楽しそうな姿を見て、思ったことがある。
綺麗な状態にしておきたいのは、私のエゴ。
子どもたちが人形に触れて、喜んでくれればそれでいい。その中で少し汚れたり壊れたりすることもあるかもしれない。子どもたちが大人になって、この雛人形も我が家から無くなる日が来るかもしれない。その日まで、この子たちの成長とともに、この雛人形があってくれればいい。
子どもの健やかな成長を願ったものが雛人形だったはず。

そう思うと、少しボサボサになったお雛様の髪も愛おしく思える。
この雛人形を選んでよかったと思える。

3月3日。カントリーマアムを頬張りながら昨年よりもお姉ちゃんになった姿を写真に収めるのだろう。