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社会とは、世間とは

社会不適合者、とよく聞くようになりました。
が、その「社会」とは、なんなんでしょうか。
世間体が気になる、とか。
世間は許してくれない、とか。
その「世間」とは、誰なんでしょうか。
よくもまあ、なんでこんなに面倒くさいことを考えるのか、と言われてしまいそうですが、ついつい深く考えてしまうのが、私なのです。

1年前とちょっと前、精神的にまいってしまい、実家に戻ることを決めた私は、定期的にお世話になっている臨床心理士の先生とこんな話をしました。
「実家に帰って、まずはアルバイトをしようと思うんです。でも、23歳にもなってアルバイトなんて、世間の目が気になるというか…」
こんな具合でもごもごと口ごもる私に、先生はこう言いました。

「その世間っていうのは、具体的に誰ですか?」

私は、何も言えませんでした。
ハッとして、頭を巡らせ、答えを探します。
「き、近所の人とか…ですかね…?」
「近所の人からすれば、ああ、仕事に行くんだな〜と思うくらいで、アルバイトか正社員かなんて話さない限りわかりませんよ。」

た、たしかに〜!!

私は何を気にしていたのでしょうか。
そもそも、別にアルバイトだって正社員だって、どっちでもいいじゃないか。
極論、無職だろうが、別に生きてて良いわけで。
その年でまだアルバイトなんかやってるのか、そう言っていたのは、紛れもない自分だったのでした。

社会不適合者、という言葉について、私が思うことを話します。
毎日8時間労働をし、家事をこなし、ご飯を食べて眠る。
それを淡々と繰り返し、少しの休みでなんとか回復しようと試み、また働いて、食べて、眠る。
それができなければ社会不適合者だなんて、あんまりじゃありませんか。
みんなが言う普通になれないのなら、レールから外れてしまったら、終わり。人生詰んだ。
みたいな風潮が、心底嫌いです。
それなら、そうじゃなきゃいけない世界なら、私は社会不適合者でいい。

自分を責めることと、反省することって、全く違うと思っています。
例えば、ダイエット中なのに、パン屋さんでたらふくパンを買って、1人で全部食べてしまったとします。(リアリティあるでしょう、それは今日私に起きたことだからです(笑))
以前の私は、ああ、どうして食べてしまったんだ。またやっちゃったよ。どうして自分はいつもこうなんだ。意志が弱い。最悪の気分だ。どうしていつも(以下同文)
という負のループの中を彷徨っていました。
しか〜し。
考え方1つで、見方を変えるだけで、前向きになることができます。
ストレスを溜めるのはよくないから、今日は食べるべき日だったんだ!あ〜美味しかった!!特にチョコリングがおいしかったな。よし、幸せはチャージできたから、明日からは切り替えて、健康的でおいしいものを食べよう!
こんな風に、無理やりでもポジティブな方に感情のレバーをぶっ倒してみるのです。
自分がしたことは、全部許す、という勢いで。
もちろん、完璧じゃなくていいです。
そりゃあ、やっちまった〜〜、と思っている自分もいます。
でも、少し視点を変えて、ポジティブな面をクローズアップすれば、それは良き「反省」となり、次の私へと繋がっていく気がします。
それに対して、自分を責めてばかりいると、負の連鎖を断ち切ることができず、誰にも責められていないのに自分が1番自分の敵、という最悪な状況が出来上がります。
自分は四六時中自分なので、そうなってしまっては苦しいばかりです。
自分を責める声を、ヘッドホンで常に聞いているイメージです。しかも大音量で。
だからこそ、少しで良いから自分の中に、自分を許す自分を、置いてあげたいものです。

社会とか世間とか、実態のないものを気にしすぎるのはやめて、のんびりと構えること。
自責と反省は違うんだと理解して、ちょっと見方を変えてみること。
この2つは、私を大きく変えてくれました。
これを教えてくれた臨床心理士の先生に感謝するとともに、これについて深く考えて私なりの答えを出した私を、とてもとても褒めてあげたいと思います。
人にも自分にも、やさしく、のんびり行こうよ。

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