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経営者が目指すべきはROICの向上。ROEは、副次的指標

 「今頃になって、掌を返したように…」 最近の日経新聞の論調には、苦笑するしかない。 2014年8月のいわゆる「伊藤レポート」以来、「ROE偏重経営」を絶賛し、達成できない企業を批判してきたこととの整合性はどう考えるのか。パンデミックで世界が変わったのだ、と論ずることは容易い。しかしながら、それは問題の本質を見落としている。

 ROEは経営指標として、果してそれほど重要なものなのか。「グローバルな投資家と対話をする際の最低ラインとして8%を上回るROEを達成することに各企業はコミットすべきである。」(2014年8月、伊藤レポート p.6)と高らかに宣言し、ROE8%が至上命題とされ始めた時から、筆者は、ビジネススクールのコーポレート・ファイナンスや企業価値評価の講義において、ROEは株主目線の収益率指標であり、経営者が過度に重視すべき収益率指標ではないと、繰り返し教えてきた。

 それでは、経営者が重視すべき収益率指標とは何か。それは、会社の本業の利益率を示すROIC(投下資産税引後営業利益率)である。ROICは、以下のような計算式で計算される。
 ROIC = NOPLAT(みなし税引後営業利益)÷ (事業用)投下資産

 筆者は、ROICこそが、企業の本業の収益率を最も適切に示す指標だと考えてきた。一方で、ROICは、その計算に用いられる要素が必ずしも一般的ではないために、わかりにくいという面もある。まず分子となるNOPLAT(みなし税引後営業利益)であるが、これは、企業の営業利益に(1-実効税率)(現状では、概ね0.7)を乗じて求められる。一方、分母となる投下資産には、企業の貸借対照表上の資産のうち本業に用いられる資産(営業利益を生み出すのに必要な資産)のみを含める。一般には、多額の現預金や有価証券を保有している企業の場合、これらの残高は「非事業用現金」として、分母には含まれない。

 以上のように、ROICは、企業の本業の儲けである営業利益が、その営業利益を生み出すのに使われた投下資産に対して、何パーセントに相当するかを示した指標である。したがって、本業から生じる営業利益に貢献しない資産を企業がいくら保有していても、「直接は」ROICに影響はない。(間接的には、企業に現金が有り余っていると、コスト意識がルーズになるといった形でROICが下がる可能性はある。)
(なお、分子を「みなし税引後」の営業利益とする理由は、加重平均資本コスト(WACC)との比較上の問題なのだが、本稿では説明を省略する。WACCの詳細は、以下の拙著記事を参照されたい。)

 さて、以下では、3つの事例を示して、ROEとROICを比較した特徴を明らかにしておく。以下では、全く同じ事業を継続している企業が、資産や資本構成を変えていった場合に、ROICとROEがどう変化するかを示す。なお、非事業用現預金の運用利息はゼロ、法人税率は30%とする。

【事例1:非事業用現預金が豊富】
企業の資産:非事業用現預金20億円+事業用投下資産80億円=総資産100億円
企業の資金調達:100%株主資本で100億円
企業の営業利益:10億円
企業の税引後利益:7億円

【事例2:非事業用現預金を全額使って自社株買い】
企業の資産:事業用投下資産80億円=総資産80億円
企業の資金調達:100%株主資本で80億円
企業の営業利益:10億円
企業の税引後利益:7億円

【事例3:事例2に加えて、さらに1%で20億円借入れし自社株買い】
企業の資産:事業用投下資産80億円=総資産80億円
企業の資金調達:負債20億円、株主資本で60億円
企業の営業利益:10億円
企業の税引後利益:6.86億円(借入金利0.2億円)

     ROIC              ROE
事例1 (10億円×0.7)÷80億円=8.75%  7億円÷100億円=7.00%
事例2 (10億円×0.7)÷80億円=8.75%  7億円÷80億円=8.75%
事例3 (10億円×0.7)÷80億円=8.75%  6.86億円÷60億円=11.43%

 事例1~3を見れば明らかな通り、本業の営業利益や事業用の投下資産が変わっていない場合に、ROICは変化しない。一方でROEは、自社株買いを増やせば増やすほど、向上していく。これが、「経営者が気にするべき収益率指標は、ROIC」と筆者が考える理由である。経営者が、ROICを向上させたいと思ったら、売上に対する営業利益率を上げるか、資産効率(投下資産の売上高回転率)を改善させるしかない。すなわち、本業を改善させるしかないのである。一方で、ROEは、本業の改善が全くされなくとも、財務政策(資本政策)で引上げることができてしまう。このような小手先のROE向上が、経営者の実績として評価されて良いとは思えない。

 勿論、ROE 8%推進論者は、本業の利益改善が本筋であり、財務によるROE嵩上げは本旨ではないと付言してきた。しかしながら、より高いROEを目指すということは、本業の利益率の改善がなくても可能であり、実際に企業がROE向上を目的として、借入で調達した資金を元手に自社株買いをしたと思われるケースは、珍しくはない。こうしたROE至上主義(自社株買いすると、同時に一株当り利益(EPS)も向上するので、EPS至上主義ともいえる)は、米国企業の特徴とされており、たとえば、コーポレートファイナンスの教科書では、「みせかけの高収益」として必ずしも好意的に捉えられていない(たとえば、ブリーリー、マイヤーズ、アレン著「コーポレート・ファイナンス」)。それにもかかわらず、ROEという経営指標は、「グローバルスタンダード」として、日本企業がコミットするべき経営目標とされ、一人歩きしてしまったのだ。今回のコロナ・パンデミックは、ROEを過度に重視する経営の持つ潜在的問題を、顕在化させたと言える。これを奇貨として企業の経営者が参照すべき指標全体についても、再考するタイミングにあるように思える。

#COMEMO #NIKKEI

WACCに関する拙著記事は、こちら



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