『ウーマン・トーキング 私たちの選択』(Women Talking)2022
2023年8月29日(火)Amazonプライム・ビデオにて鑑賞
実際に起こった出来事をもとに書かれた小説を映画化した作品。
可能な限り文明の利器を拒絶して、自給自足の生活をするメノナイト(キリスト教の一派)を信奉する共同体(コロニー)で、長年にわたって犯されてきた連続レイプ事件。牛用の強力な麻酔薬をスプレーされて気絶している女性に性暴力を加えているので、被害者の女性の記憶は曖昧である。
そのため、事件は「女たちの妄想」とか「悪魔の仕業」と言いくるめられ、真実を明るみに出すことが阻まれてきた。
しかし、現行犯が発見されることによって、事件の真相が明らかになる。数名の実行犯が逮捕されるが、保釈を求めてコロニーの男たちは全員、街に2日間出かけることになる。
その2日間の間に、コロニーの女性たちは、自分たちがされてきたことの現実を知って、怒り、泣きながら、これから自分たちが進むべき道を「話し合う(トーキング)」ことになる。
何もしないか。村に残って闘うか。出て行くか。その3つの選択肢を巡って、女性たちは話し合う。2日間の間に彼女たちは意志決定しなければならない。その限られた時間内の会話劇を映画は描く。原題を直訳すると「話し合う女たち」となるだろうか。
舞台となるメノナイトの村は、『刑事ジョン・ブック』に出てきたアーミッシュの共同体と似ている。大昔の生活を今も続けているという印象。
映画にはこのコロニーの中の人物しか登場しないし、しかも映像の色調ができるだけ色彩を抑えたものになっているために、100年ほど前の時代劇のようなものかと思いきや、物語の途中で全く現代のできごとであったことに気付かされ、驚く。
これは「今」私たちの社会で起こっている、女性に対する暴力の実態なのだという強烈なメッセージを感じる。
女性たちは、男たちに暴力を日常的に振るわれながら、自分で考えることも許されず、自分の言いたいことを言ったりすることも、男性に何ひとつお願いさえもすることをも許されず、それでも自分たちが世話をしないと男たちは生きてゆけないのだと自分に言い聞かせて生きてきた。
話し合う女性たちは、互いに違う見解、違う意見を戦わせながら、そのような社会の現実の問題点をあぶり出し、自分たちの取るべき行動を探り続ける。それは、様々な立場や考え方の違うフェミニストたちが論争をしながら、1つの方向を模索していくプロセスにも見える。
それと同時にこの映画は、宗教(この場合は超保守的キリスト教だが)によって良い意味でも悪い意味でも支配された閉鎖的共同体が、いかにしてその信仰を実践するべきなのかを悩んでいる姿を描いている点で、宗教者にとっては興味深い。
最初は自分たちの男性社会や家父長制に対する闘いが、そのまま天国から締め出され、地獄で焼かれることにつながるという信仰に、彼女たちは縛られている。
しかし、話し合ううち、少しずつ自らを解放し、本当の信仰的な選択とは何なのかを模索し始める。「善」「赦し」「平和」を実践するとはどういうことなのかを彼女らは考え抜いてゆくのである。
その結果、女性たちの取った選択については、共感するか、否定的に捉えるか、観客の意見は分かれるのではないかと思う。
果たしてこれが女性と男性の関係性において何らかの示唆を与えるものなのか。また、これが「善」「赦し」「平和」を実現する最良の方法なのか。問いは残る。
しかし、彼女たちが「新しい物語」を作り出す可能性に希望があることは確かである。
『マグダラのマリア』を演じたルーニー・マーラと、『007』シリーズで「Q」を演じたベン・ウィショーが、言葉を超えた静かな愛を育んでいる姿が印象的だった。