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布団

子どもが好きだ。

こう言えば女子受けがいいと考えているわけではないし、
ペドフィリアでもない。

単純に可愛いことはもちろん、彼らは恐れを知らず何にでも突っ込んでいくし、感情を全身から表現し伝えるところも好きだ。
いろんなことにビビって身動きできず、世間体や空気を読んで思ってもないことを言ってしまう自分からすると、かっこいい、とさえ思ってしまう。

大きくなると考えもしないことを、彼らは全力で悩み考えているということにも興味がある。
それが自分の頭に驚きや発見をもたらしてくれることがある。



先日、友人とBBQをした。

そこにもうすぐ3歳になる、友人の息子も参加していた。

彼とは以前にも会ったことがあったので、
最初は照れていたもののすぐに心を開いてくれた。


彼はよくしゃべる。
お肉そっちのけで遊んでいたら、いろんなことを質問された。

「なんで?」
彼の眼は本気だった。

なんで柵の中に入っちゃダメなの?
なんで危ないの?
なんでお花の花びらをちぎっちゃいけないの?
なんでお花がかわいそうなの?
なんでお花は生きてるの?



彼にはすべてが新しいんだと思った。
すべてが不思議で、驚きで、発見で。

彼にとって当たり前に湧いてくる質問達は、
大人が当たり前としてもう疑問に思わないことなんだ。


彼の質問にしっかり答えなければと頑張っていたが、
途中から大人をやめて一緒に考えてみることにした。

たしかに改めてみると、なんでだろう?と思うことが、この世界にはたくさんある。

でも歳を重ねるごとに、人生に慣れてくるにつれて、普通や当たり前が増えていく。
それが大人になるということのひとつなのかもしれない。



BBQの後から、彼と同じような視点でいろんなものを見てみた。

この世界は不思議なことばっかりだ。


Bluetoothという目に見えない線を繋げればスピーカーから音が出る。
誰も何も言ってないし法律や法令で決まっているわけでもないのに、エスカレーターではみんな左側に乗る。
一緒にいるのにスマホに夢中で会話のないカップル。


「それって普通でしょ」
「当たり前なことだよ」

って片づける度に、

自分の中の何かが消えて寂しくなる感覚が前から確かにあって、それはこれだったんだ。


何か新しいものに触れたり、何かに驚いたり夢中になるとき、人生の時間は止まると思う。
その間、人は歳をとらない。


年齢の割に若々しい人たちはきっとそんなものに出会い続けている。
彼らはある種ずっと子どもなんだ。

アンチエイジングにお金や時間をかける大人たちの横で、
ずっと何かに驚いて夢中になる大きな子どもでいたい。


大人とも子どもとも言われる中途半端な年齢の男が考えた、大人と子ども。