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誕生日会を卒業した思い出

30代最後の誕生日を迎えた。

ぐうたらして、夜更かしして、昼まで寝て太り始めている。

猫のように気ままな沖縄の日々も、あと2ヶ月もすれば終わる。再び山小屋の生活が始まるので、だらけ過ぎてもダメなのだが。

ぼやぼやヤキモキしながら幼い頃の誕生日の記憶が蘇る。

私は海外駐在員の子供であった。

当時キツめの共産主義国にひしめき合うように住んでいた駐在員一家の連携は強かった。誕生日会と言えば、日本人が絆を深める大切な行事で、主役の子の家に親子揃って押し掛け盛大に祝わったものである。

スプライト入りのフルーツポンチ
持ち寄ったプレゼント
シール入りのチョコスナック
お決まりの集合写真

小学校2年生の時、帰国して転校先の小学校でもそれは当たり前に続く行事だと思っていた。ケーキだの唐揚げだのいつものパーティ仕様を強請って誕生日を迎えた私は、自分で誘わないと誰も家に来ないという事実を知った。


私は恥ずかし過ぎてクラスの誰にも声をかけられずに、帰路についた。

数軒先の近所に住む唯一の友達が、サッカーの練習次いでにユニフォーム姿で我が家に寄ってくれた。母も熱心に誘ったのだが、練習時間が迫っていた彼は早々にケーキをパクついて去っていった。

浮かれたリビングで、母と私とご馳走が取り残された。気まずさと恥かしさで底冷えした空気の中に沈んでいった記憶。

対外的な私の誕生日会はそこで終わりを告げる。

以降は大人になってからも誕生日会には縁がない。



夕食時、母に幼き黄昏の誕生日会について話すと

母は子供の誕生日は毎年ちゃんとケーキを焼いて祝った自負があって、全く覚えてないという。

どうにも食い違いが起きている。

「あまりにイチゴが立派過ぎてケーキと合わせるのが申し訳なかったから、別々に食べて」

と、夕食後にロールケーキにイチゴを添えてくれた。

手作りではなくてホッとした。

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