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カワノさんの禅カレー

カワノさんのカレーについて小屋の従業員たちがあれこれとレッテルを貼り始めたのには訳があって。

帝国ホテルのビーフカレー

例えば私の母親は玉ねぎを飴色になるまで炒め、トマト缶を入れ、2種類のカレー粉をMIXさせて計2時間かけてオリジナルのカレーを作ったりしている。

質問なぞすれば、母なりの工夫や工程をベラベラと喋り始める。

世の中溶かすだけで味が整うカレー粉が溢れているが、自覚的に料理をしている人はパッケージの裏面通りに作らない人も多いと睨んでいる。

簡単に作れるからこそ、最低限自分の味を表現したくなる国民食としてのカレー。

そこに「母の」とか「男の」といった情的スパイスも加わり、カレーへのこだわりは留まることを知らず、調理時間と共に積み重なっていく。

けれどカワノさんの場合

【材料を切り、茹でる、粉を溶かす】

3ステップでカレーを仕上げる。

余計な味も加えず、炒めることすら省いている究極にプレーンなカレーが小屋内でおいしいと評判を呼んでいる。

このレシピ、あまりに簡単過ぎて真似しようにも勇気がいるレベルである。
そこまで楽していいのか…

楽しがいのある美味しさというか
「普通に美味しい」という感想が誰からも漏れる。

とあるグルメ気取りのブルドック男爵がカワノさんのカレーを食べながら

「ウマいウマい!こんなカレー久しぶりに食べた」

と舌自慢を疑いたくなる食いっぷりだったが、どうやら世代を超えて受ける様である。

彼のカレーはこだわらない事をこだわっているカレーとして禅カレーだの、虚無カレーだの言われ始めている。

メーカーの技術と努力が産んだ万能カレー粉を100%引き出している他力本願カレーと言えなくもない。

まいど美味しい小屋の夕食


4日に一度のペースで夜の食事当番が回ってくる山小屋では、10人分の食事を任せられるプレッシャーと日々の献立にいつも頭を悩ませられているのであるが、カワノさんは食事当番になると我先にとカレーの日を奪っていく。

カワノさん以外は、そこまで楽をすることに徹底するメンバーではないことが幸いして、軋轢が生まれることはない。それなりに作りたいものを作るメンバーが多いのだ。小屋にいる半年間、決まってカレーの日はカワノさんの禅なるプレーンカレーが出てくる。

沖縄カリカ食堂のほうれん草カレー

彼は10年近く様々なリゾート地の厨房で仕事をしているくせに、料理のプロという自覚はない。従業員の夕食には我先に冷凍おかずをキープする大人気のない人で、味の追求やこだわりに一切の関心がない。一手間加えて相手を喜ばせようという気もサラサラない。

何が凄いって、そんなモチベーションなのにずっと料理の仕事を続けていることである。彼がいるおかけで他のメンバーは夕飯のプレッシャーから解放されるところもある。

禅カレーを食べながら、良かれと思っている工程や手間や工夫が、所詮は美味しいと思われたい承認欲だったり、オリジナルでありたい煩悩に過ぎないのかもしれないという予感が過って、思考がいい加減になっていく。

日々他人の為に、自分の為に、手を抜こうと思えるのである。

農家の奉公仕事


山小屋生活を終えて、ひと月程りんご農家のお手伝いでお世話になった時、モモセの奥さんが作ってくれた牛すじカレーが、禅カレー慣れしていた私の身体に雷が走るほど美味しかった事実も語っておく。

来年はきっとこの小屋には来ないと語っていたカワノさんだが、今年になって早々に

「今年も働くことになったから春からよろしくね」

とメールが来た。

吉報である。厨房は彼なしには回らない。

今年はカワノさんからカレーの日を奪い、それなりのカレーを作ろうと思っている。



参考記事

こにしふみえ氏
エッセイ:「カレーは自由」↓

https://note.com/sunsunto2525/n/n214c7c71b189

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