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関係性

ポートランドの1.5ヶ月に渡る生活は、私に大事なことを教えてくれた。

ポートランドの郊外は自然豊かだ。季節柄緑は少なかったものの、道沿いには大樹があり、散策路が多く、水の流れを感じられる。野生のリスが木の実を齧る姿は愛らしく、渡り鳥がハート模様の弧を描く姿は芸術作品のようだ。様々な鳥の鳴き声を聴いていると、ふといつもと違う鳴き声に気付く。あたりを見回すと、見たことがなかった青い鳥がいる。所々、壁に描かれているペイントアートは、自然と人の調和を感じさせ心打たれる。

ポートランドの人々は陽気だ。すれ違う人々は笑顔で挨拶をくれる。コンビニの店員は元気に送り出してくれ、バーの店員はお薦めのビールを語り、ホテルのレセプションとの雑談も弾む。職場のスタッフも、フレンドリーに日々の会話を楽しむ。

ポートランドの天候は多様だ。雨季のため雨は多いが、しとしと降っていたと思えば急に本降りになり、いつのまにか晴れ間が見える。通り過ぎる人々は、傘をささずに、強弱移り変わる雨に打たれることを楽しんでいるようだ。地面はすぐにぬかるみ、水没する小路。泥だらけになりながら踏みしめる一歩は、不快のようでいて、心地よくもある。

何が言いたいかと言うと、知覚が増したということだ。鳥の声については帰国後もよく気付くようになった。周囲にこれ程鳥がいたのに、気付かなかったことが驚きだ。人の表情や声、ビールの味、風が肌に触れる感覚。様々なことに対する感度が向上した。言い換えると、刹那的な関係性を強く意識できるようになったと言うことだろう。

さて、一方で。

ポートランドのダウンタウンは甘ったるい匂いで溢れている。現地人に聞いたところ、大麻の匂いのようだ。ホームレスやヤク中が街のいたるところで散見され、時折大きな声で叫んでいる。服装はみすぼらしく、体型はガリガリだ。路面電車に段ボールをしいて寝てる人々。盛大に散らかった車内。ポートランドは全米一住みたい街と言われていたが、コロナにより悪化した部分もあるらしい。

ポートランドでは、昼間からブリューワリーでクラフトビールを嗜み、大量に盛られたディッシュを楽しんでいる階級層がいる。巨大なスーパーが数多く点在し、酒や食料がまとめ売りされている。カートにこれでもかという程詰め込んで買い物をしている、巨大な体型の人々。彼らはダイエットサプリの前で何を買うのか迷っている。健康までが全て消費に結びつけられる世界。彼らは、地元に本社のあるナイキやコロンビアの社員かもしれないし、工場のあるIntelの社員かもしれない。

日本より明確に感じられた格差、構造的問題。人々の関係性が分断され、新たにカテゴライズされた社会。満足を知らない消費の中、彼らは幸福なのか苦しんでいるのか。

結局のところ、人が生きていく限り、何らかの関係性が生まれる。ミクロな関係性を大事にする人もいれば、マクロな関係性に憂いを覚える人もいる。その関係性の切り抜き方が人それぞれで、ある人は格差、ある人は自然保護、ある人は個人の欲求の最大化にフォーカスする。それが価値観という言葉に集約されるのだろう。

これまで、具体⇔抽象や、過去⇔現在⇔未来という視点で物事を考えることが多かった。ただ、これらの考え方も、最終的には関係性の尺度や変化をブレークダウンしているに過ぎないことに気付いた。つまり、関係性をどのような視点で見ていくのかにフォーカスすることで、あらゆることを表現出来るのではないだろうか。

現代社会、誰もが何らかの関係性に悩み、関係性を善くするためにもがいている。一人一人の改善したい関係性の尺度は違うものの、人類はみな共通した悩みを持っているのだろう。そのように考えると、人は孤独であると同時に、同じ悩みを持つ無数の仲間と共存している。これまでより、ずっとシンプルに生きられるようになるのではと、少しだけ成長を感じることができた。

私とポートランドが織り成した関係性。その関係性が、また新たな関係性を産み出すことを祈願して。

I love Portland.

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