物語

あなたはどんな物語で出来ていますか?

鈴木祐氏の『無(最高の状態)MU』を読んだ。自己は単一なものではなく、特定の機能の集合体として成り立ち、その機能の発現には過去に経験したことをベースにした物語が作用しているという話だった。その物語が生じる理由を脳科学や神経科学も活用しながら説明しつつ、物語は記憶に沁みついているので消去はできないから、物語について理解してそれをそのまま受け止めることが重要という内容だった。類似の本は多いが、この本では自己を機能の集合体としている点は面白い考え方だったし、物語を産み出す習性を悪法といって18種類の悪法で説明していた切り口は、初めてみるもので参考になった。無我に至るための行動なども記載されており、実用書としても使えるように感じたし、一方で精神修養のダークサイドの説明もちょっと書いてあったりして興味深い点も多かった。

世の中が自由主義、個人主義になるにつれて、コミュニティーの役割がますます希薄化し、生育環境も家族や個の単位に収斂してきた。また、格差も非常に大きくなり、最先端のテクノロジーを体験するかどうかも、生育には大きく関わってくるように感じる(敢えてテクノロジーの恩恵とは書かなかった)。こういった社会環境の中では、今まで以上に個々人の物語というものが多様化・複雑化していくように感じる。

パーソナリティを区分・特定する方法は、精神医学から性格診断まで多種多様にある。ただし、人間の数がそもそも増えすぎて、かつ多様化している中では、一般論で語れることも限りが出てくるのかもしれない。そうなると自己を理解することがますます重要になってくるように感じる。その一方で個人主義の競争社会ために、自己理解まで自己責任で実施せざるを得なくなる。コーチングに高いお金をかける人がいるのも、そういう背景があってのことだろう。

このような世の中なので、家庭や学校教育の過程で、自己を知る機会はもっと増えて然るべきである。それが結果として、自己肯定感の向上や強みの発見にもつながり、社会全体での役割分担を健全化できる下地作りにも繋がる。ただし現実はその逆で、自己理解を促す教育ができるだけの人材が不足している中で、若い頃から受験勉強といった競争社会に放り込まれ、失敗が許さにくい環境で育つから、大人になって自己を見失うケースが多発している。

せめて自己理解の機会くらいは公平に提供出来たら良いと思って、自分の部下には可能な限り、安心安全な場の提供、失敗を許容したチャレンジ、対話と振り返りによる気付きを提供できるよう心掛けてはいる。ただ、それも結資本主義の中で業績という目標を達成しながらという制約はつくし、単純にそれだけをやっていれば良い訳ではないから難しい。自分の関与できる人の数も、時間の制約がある限りは公私ともに限られる訳ではあるし、その中でどうしていくのが最適解なのか。答えが出ない問いではあるけれど、やれることは日々実践していきたいと思う。



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