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ますく堂読書会レポート『矢川澄子ベスト・エッセイ 妹たちへ』を読む

ファン待望のベスト・エッセイ出来
緊急事態下に矢川澄子を読む


益岡 
明日、二〇二一年四月二十五日から、東京には緊急事態宣言が出るそうですが、埼玉県でも、今日の会場となっている川口市とさいたま市だけがまん延防止等重点措置の対象地域となっております。昨年からずっとコロナの影響でなかなか対面のイベントが難しいという状況が続いている中で、やっと少しましになってきたかな……というところでの感染再拡大という事態でしたので、この読書会も開催するべきか迷ったのですが、大阪へ旅立った古書ますく堂さんが久しぶりにお仕事で上京されるという機会でしたので思い切って皆さんにお声掛けしたところ、大勢の方に御賛同いただきまして、大変感謝しております。
さて、今回の課題作ですが、いくつか持ちかけた中で、「これならやってもいい」とますくさんが仰った企画に……
ますく堂 
百合SFとほぼ二択だったから……でも、これも百合みたいなもんじゃない?(笑)
益岡 
お! 今のはひょっとしてかなり鋭い指摘なんじゃないですか?(笑)
今回の読書会は、この三月にちくま文庫から刊行されたばかりの早川茉莉・編『矢川澄子ベスト・エッセイ 妹たちへ』がテーマです。矢川澄子さんは非常に思い入れの強い作家でして、二十代の頃書いていたものは、小説もそれ以外も、振り返れば広義の「矢川澄子トリビュート」だったんじゃないかと思うくらい、影響を受けています。古本屋さんのイベントだということに引き付けてお話すれば、古本者なら誰でも「この作家にならある程度の金は積んでもいい」と決めている作家がいると思うんですね。僕にとっては、それが矢川澄子だったということで、いわゆる希少本・絶版本もそれなりに揃えている。今日はその一部を持ってきてみましたので、適宜、お手に取っていただければと思います。
そんなファンとしては、矢川澄子さんの著作が、文庫という手に取りやすい形で久しぶりに刊行されるというのは大事件なわけです(笑)
ちくま文庫からは以前に、長篇小説の『兎とよばれた女』が出ていますが、これももう十年以上前。しかも今回はエッセイということで、矢川さんのエッセイ集は軒並み絶版で古書価格も高騰しているという状況がありますので、まさに待望の一冊ということになると思います。
久しぶりに矢川澄子のエッセイを読んでみて改めて感じたのは、「本当に複雑な作家だな」ということと、これは異論もあると思うのですが、扱っているテーマが今となってはクラシカルな印象を受けるということ。ちょっと、現在では議論しづらくなっているような面もあるんじゃないかな、と。
矢川澄子といえば「少女論」というイメージが僕にはあるのですが、この「少女」という概念を語ることが難しい時代になっているように思うんですね。
例えば、弊誌における重要な研究課題になっている百合ジャンルを考えるときに、女性の、とりわけ少女の性的消費という問題は避けては通れない。そこにはポリコレ(ポリティカル・コレクトネスの略。政治的妥当性の意)、表現の自由の問題、フェミニズムの問題、様々な問題系が横たわっていて、それらを踏まえた上でしか「少女」は語れないという時代になっているという認識が僕にはあります。
でも、矢川さんが活躍した七〇年代から九〇年代においては、「少女論」「少年論」というテーマの立て方はむしろ安全な様式というか、誰も彼もが素朴に、無邪気に「少女」「少年」を語っていたように思うんですね。その中でも矢川澄子は特異な作家だと思いますが、いずれにしろ、今、「少女論」という看板の出し方は当時よりは慎重さが求められるような状況下にあるように感じています。
そういう時代の変化の中で、あえて今、矢川澄子を読むことは大変重要で、新たな気づきがあるのではないかと思う一方で、若い方には「古い」と斬り捨てられてしまうのではないか。もう、住んでいる世界が違うというか、次元が違ってしまっていて、まったく話が伝わらないというおそれがあるんじゃないかという、矢川澄子ファンとしては、「危機感」も覚えました。
ちょっとうまくまとめられませんが、とにかく複雑な思いを抱えてこの場に座っておりますので、今日は皆さんのご意見を伺いながら、じっくりと「矢川澄子というひと」について考えて行きたいと思います。

いちげんさん、お断り?
「初・矢川澄子」の難易度


ますく堂 
大阪で古本屋をやっております、ますく堂です。これを読んで面白いと思ったことは、ぜんぶ解説に書いてある。
一同 (笑)
ますく堂 
後半に配置されている「いつもそばに本が」とか、とてもいいなと思ったんだけど、そういう「いいな」と感じた部分はぜんぶ、編者の早川さんが説明してくれているのが、なんか、損をしたような気分にもなりました(笑)
本について書かれた部分は総じて面白かった。汚れることがわかっていても自著の表紙を白色にしてしまう、「白と、汚れと……」が特に気に入りました。手の先進性、文学性に触れた「手」も良かった。巻末の「Word to Remenber」は色々な人の格言から話を展開していく連作。これも面白かったですね。
益岡 
一方で、ピンと来ないものもあったんでしょ?
ますく堂 
うん。最初の作者の生い立ちを綴ったパートは面白く読んだんだけど、「アリス」の章は……そもそも、「アリス」に興味がなくて、今回、この本を読むために『不思議の国のアリス』を初めて読んでみたんだけど、正直、入って行けなくて。「これが不朽の名作? ウソだろ?」って感じだったから、矢川澄子の「アリス論」にも結局興味が持てなかった。益岡さんはこのセクションを評価しているみたいだから、今日、話を聞いてみて、『鏡の国のアリス』に挑戦するかどうか決めたいと思います(笑)
ヘイデン 
ヘイデンです。元夫である澁澤龍彦の著作は結構読んでいるんですが、矢川澄子は初めて読みました。フェミニズムっぽいところはいいと思ったんですけど、やっぱり、彼女はいいところのお嬢様で、その部分が全面的に出てくると、「ああ……うん……」と(笑)
益岡 
うん、うん(笑)
ヘイデン 
あと、「身体が小さい」ということにコンプレックスを感じていたというところが印象的でした。私自身は身体がでかいんで、フェミに関する考え方も身体ひとつでずいぶん違うんだな、というところがすごく興味深かったです。
あとは……私的に読めば、彼女は別に結婚しなくても良かったし、レズビアンとして生きて行っても良かったんじゃないの?と思うんだけど……まあ、家柄とか、社会環境的にそうせざるを得なかったというか、それが普通だったんだろうな、とは思いました。
少女論や物語論の部分にはあまり着目せず、彼女自身の境遇と、フェミニズムに対する考え方の部分を中心に読んだという感じです。
トット 
トットです。矢川澄子の中では「少女」が特権化されていて「少年」はそうでもない。その辺はどうなんだろうな、と思いながら読みました。「孤独」という言葉で少女を語っているのが印象的だったので、その部分を今日、お話できたらと思っています。よろしくお願いします。
帰ってきた新・たま屋(以降、新・たま屋) 
一箱古本市という、古本フリマイベントに昔から出店していて、「帰ってきた新・たま屋」はそのときの屋号です。この読書会には初めての参加ですが、古書ますく堂には、初期の「スナックますく堂」時代から通い詰めている常連です。(発行人註:開店当時の古書ますく堂は夜逃げしたスナックを居抜きで使っており、その風貌にちなんで「スナックますく堂」という、持ち寄りパーティーを、夜、全員が帰るまでやるというカオスなイベントを不定期で開催していました。なお、二店舗目は割烹料理店を居抜きで使っていたので当然、このイベントも継続。三店舗目でも何度か開かれていたと思います)
今回、この読書会に誘ってもらって、矢川澄子という作家には馴染みがなかったので正直、参加するか迷ったのですが、ちょうどそのとき、加藤郁乎の『後方見聞録』(学研M文庫)という文壇回想録を、この本には矢川澄子への言及もあるんですが、ブックオフで見かけて、そのまったく同じ日に別の古本屋でミュージシャンの「たま」の本をみかけて、ともに矢川澄子に縁のある本だったので、「これも何かの縁かな」と思い、参加してみることにしました。
そうして読んでみたんですけど……並行して、先ほどの『後方見聞録』を読んだのですが、正直、『後方~』の文壇ばなしの方が、面白いと感じました。ただ、矢川澄子が描いているのは内面世界というか、純粋な「物語論」や「少女論」というフィルタを通した世界で、加藤郁乎が書いたドロドロとした男女関係なんかとはかなりのギャップがある。矢川澄子の内面で展開されている世界と、その外にあるリアルな生活世界とのバランスをこのひとはどのようにとっていたのかな、というところは関心を持ちました。
酒井 
酒井と申します。こうして対面でみなさんと集まってお話をする機会が本当に久しぶりなので、ちょっとどきどきしながらやってまいりました。
大学で歴史の講義を持っているのですが、この突然の緊急事態宣言にも大学側は「まあ、そういうことでよろしく」という感じて放り投げられておりまして、明日からはその対応に苦しまなければならないので、その前に皆さんと、最後の晩餐のような感じでお話出来るのは嬉しく思っています。
一同 (笑)
酒井 
課題本についてですが、かなり抽象度が高いというか……具体的な話もしているんだけどイニシャルが多用されていたり、ちょっと何を言いたいのかわからないというか……きれいな話にまとめようとしているかと思いきや、最後にはちょっと捻りをいれてみようというような一筋縄ではいかない文章が多くて、世事で疲れた身体にはなかなか入って行きづらかったというのが正直なところです。
今日はそういうわからなかったところを解していけたらと思いますし、フェミニズムを語った作品群かと思いますので、勉強できればと思っています。よろしくお願いいたします。
柳原 
やなぼんこと柳原と申します。課題本の矢川澄子さんは読んだことのない作家でしたが、私も正直、なかなか入って行けなかった。途中、アリスの章なら入って行けるかなと思ったんですが、結局最後まで入って行けずに終わってしまったというのが正直なところです。解説はわかりやすかったんですが……
決して嫌いな世界じゃない。むしろ好きな世界。でも、入って行けない。
澁澤さんとの関係も大きな主題になっていると思うのですが……澁澤さんの本も数十年読んできて興味はあるし、好きな世界ではあるんだけれど、最後まで読み通せたのは二、三冊なんですね。その入りづらさが似ているな、とも感じていて、今日はその辺りも含めて、皆さんの意見を聞いて勉強したい、挑んでみたいと思い、参加しました。よろしくお願いいたします。
益岡 
ちょっと話がそれますけど、新・たま屋さんとやなぼんさんは僕の中では「古本者」というカテゴライズなんですね。そこでお聞きしたいのは、矢川澄子も含めた「幻想文学」というジャンルは、古本業界では今も昔も非常に人気のある一大ジャンルといえるんじゃないかと思います。一箱古本市でも、誰かの箱には必ず、澁澤龍彦や中井英夫が入っているという印象があるんですが、古本フリークとして、幻想文学は結構お読みになる方ですか?
新・たま屋 
澁澤龍彦は、実は何回も挑戦しているんですけど、一度も読み終えたことがないです。中井英夫はわりと好きですし、高山宏好きなんですけど、やなぼんさんと同じで、澁澤龍彦はなんか受け付けない。文壇の交友録としての「澁澤の周辺」はとても面白いんですけど。
柳原 
私は、幻想系は大好きでよく読むんですけど、澁澤さんはどうも受け付けなくて……どうしてだろうと思うと、矢川さんを読んでいても感じたんですが、知らない言葉がたくさん出てくるんですよね。調べながら読んで行くこと自体は苦ではないんですが、多分、私よりも上の方の世界で生きている方々なんだろうな、と(笑)
益岡 
たしかにちょっと貴族的な書物ですよね(笑)新・たま屋さんの箱は「水木しげる専門書店」としての顔もあるので、怪奇幻想系の箱ということになると思うんですが……
新・たま屋 
たしかに何回かに一回は「水木しげる祭」と称して水木しげると怪奇幻想系の本だけを並べた箱を展開してはいますが……自分で読むことはあまりないものも並べています(笑)
益岡 
それは非常に古本者らしい……一箱古本市らしい感じがしますね。来てくれる古本好きのみんなが喜ぶから入れておくという(笑)
すみません。話がそれましたが、伊藤さん、お願いします。
伊藤 
伊藤佐知子と申します。詩と俳句と小説を書いています。矢川澄子さんは今回初めて知ったのですが、澁澤龍彦さんの元奥さんだったということを知って興味を持って参加しました。
一読して感じたのは、「知性の人」だな、ということ。好きな詩人や作家、トマス・マンや啄木、宮澤賢治などたくさん出てくる。ひとつひとつはあまり深くは語られないのですが、知らない作家も含めて興味を誘うところがあったので、色々な読書の入口としては面白い作家なんだろうなと感じました。
フェミニズムについての感想がありましたが、おそらく同じ作品群から、私は「少女趣味」というか、自身の美意識としての「少女」を描いた作家という印象を強く持ちました。澁澤さんにある「少年趣味」と惹かれあう、近い感性があったのかな、と感じました。
ただ、総じて「わからない」という印象もあったので、皆さんの感想・解説を聞いてみたいなと思っています。よろしくお願いします。
三上 
三上かおりと申します。数年前に急に津原泰水が好きになりまして、こちらで『ヒッキーヒッキーシェイク』の読書会が開かれたことを御縁に参加するようになりました。理系の人間なので本の読み込みが足りないという自覚があるのですが、若い頃はSF好きで、津原泰水のおかげで本の世界に戻ってきたというところです。前回、瀬戸内寂聴の会に出てみて、寂聴を見直したというか、いい勉強をさせてもらったな、と思ったので、今回もそういう機会になればいいなと思って参加しました。
ちょうど先日、津原泰水さんのライブがあって、「たま」のパーカッショニストの小川さんが出演されていたのですが、それを観て「この人すごいな」と。その日のライブでは《さよなら人類》も演奏されたんですが、あらためて「すごい詞だな」と、「ヒットするものはすごいな」と感じてですね、そういう流れで矢川澄子とも縁が出来るかなと期待して読んだんですが……なんか合わないな、と(笑)
一同 (笑)
三上 
「なんだ、このふわふわした文章は」と。この本以外にも色々読んできたのですが、澁澤との日々を綴った『おにいちゃん』なんて、「なによ、この自我の確立していない感じは」と。なんだか、「フェミニズム以前の思想」という感じ。『おにいちゃん』の最後の「K・Fへの手紙」なんかもう、「もっと強く打ち出せよ! ひどい目にあったんだから、もっと!」と思うんだけど、進化論でいえば、「ダーウィンが出てくる前にいくら化石掘ってもまとまらなかった」みたいなもんなのかな、と。
ただ、この一冊の中では、初めの方のふわふわっとした文章と比べると、第四章の「不滅の少女」は、これは、なかなか。少女の真っただ中にいて、少女を論ずる知性があるというのはやっぱりこれは大したものなんじゃないかなと思いつつ、ちゃんとわかっているとは申せません(笑)
ついでに矢川澄子の周囲を勉強するという目的で初めて澁澤龍彦を読み始めました。友人に、「一番、イージーに澁澤がわかる本はどれか」と聞いたところ、ちくま文庫の全集を進められました。
益岡 
ちくま文庫の日本文学全集ですね。
三上 
このシリーズは『尾崎翠』で知っていたはずなんですが、今回あらためて手に取って安野光雅さんが装幀をやっているのに驚きました。
澁澤龍彦ですが……こちらは、とても気に入りました。幻想的な、フィクションの方がいいなと思いましたね。津原奏水作品で手元に読むものがない時は、澁澤を読んでれば満足できるわ、と思いました。
フィクションに比べて、論考の方は「時代の制約があるんだなー」と思いました。「愛が植物的である」とかなんていうのは、生物学は進んでいますので今や一蹴されるような意見じゃねえかと思うのですが、その感性は、フィクションの中では今でも映える。フィクションは強えなあ、と感じました。
矢川澄子の名前は今回初めて意識して読んだんですが、名前自体は、児童文学や絵本でお世話になってきたはずなんですよね。何となく、「顔の見えない人だね」と。
益岡 
なるほど。
三上 
『おにいちゃん』の口絵として、細江英公の写真が使われています。澁澤龍彦と一緒に矢川澄子が砂浜で花札をしている写真です。大きな帽子と長い手袋で顔と素肌を隠している。なんだか、自分を消して消して、澁澤龍彦を表に出そうとしている人。でも、どこかで気がついて……つきあえなくなってしまったんだろうねえ、と。この写真はなかなか象徴的だねえ、と思いました。
これまでの感想で皆さんから「みんなの意見を聞いて勉強したい」という声がありましたけど、私は「矢川澄子が好きな方の意見が聞いてみたい」という思いでやってまいりました(笑)
益岡 
では、好きな人代表の銀河さん(笑)
近藤 
近藤銀河です。私が矢川澄子に出会ったのは中学生のときに読んだ『兎とよばれた女』です。その頃なぜか「架空のブラコン」をこじらせまくっていて、「二次元の謎のおにいちゃんキャラクター」に憧れていた時期でもあったので、ぐいぐいはまっていって(笑)
その頃はちょうどAli Projectとか、ビジュアル系の影響から幻想文学にはまって行った時期で、京極夏彦を読みだしたのも同じ時期でした。そうして幻想文学を読み進めていくと、その元締め的な位置にあるのが「澁澤龍彦」なんですよね。そうした流れの中で、矢川澄子さんの『兎とよばれた女』を読んだ。この小説は矢川さんの結婚や離婚を抽象的に描いた作品だと思うのですが、これを読んで「澁澤龍彦ってイヤなヤツだな」と。さらに『おにいちゃん』なんかを読むと、澁澤龍彦はすごくイヤなヤツで、なんでこんなイヤなヤツをみんな崇めるんだろうと思うわけなんですけど(笑)
一同 (笑)
近藤 
私は一生、澁澤龍彦を許さないで生きていこうと心に決めたんですけれども(笑)
今回の課題本を読んであらためて、矢川澄子の「少女論」と澁澤龍彦の「少女論」の対比がはっきりしたというか……澁澤の「少女」は、愛玩する何か。自分の外にあるものなんですよね。対して矢川澄子は「少女を生きた自分」というか「少女を生きている」というろこに主眼があるんだな、と再認識しました。
先ほど、三上さんも触れておられましたが、自信がないことを強調するというか、「私なんかが言っても」とか「浅学な私が」というような謙遜する、へりくだる部分が確かにあって、でも、そうかと思うと「こんなことは男にはわからない」と男性知識人を断じるというか、斬って捨てるような書き方もする。自信がなさそうな素振りで、実は攻めているというか、断罪する。そこに矢川澄子流の闘い方があるようにも感じます。
益岡 
大変よくわかります。矢川澄子の特徴的なところですよね。
近藤 
もう一つ私が注目したいのは内藤礼さんについて書いた「(フランクフルトの内藤礼展)」です。その末尾で「内藤礼の作品を、一口に胎内瞑想とか子宮願望とかいってしまう男たちの意見に、わたしはかならずしもくみしない。もっと別の意味でのしなやかで聡明な女性性の発露が、ここにはたしかにあるのだった。」と書いているんですが、ここは、いわゆるジェンダー論やフェミニズム的な観点から捉えると、「エクリチュール・フェミニン」といわれるような、男性から排除された女性芸術家からの視点が感じられる箇所だなと思いました。与謝野晶子のことも矢川澄子は書いていますが、矢川澄子の精神性は、戦争に対する晶子の文業にも代表されるような「女性であることを強く打ち出した上でのフェミニズム思想」という、ちょっと古いタイプの、六〇年代くらいの運動の中に位置づけられる思想なのではないか。そして、その辺りのことは澁澤にはわからなかったのだろう、と。
先ほど、益岡さんが「少女論が最近書かれなくなった」という話をされていたと思うのですが、それは私もそう思っているんですが、同時に、「少女論といえば澁澤龍彦だよね」という暗黙の了解があって、それが長年、矢川澄子的なものも含めた、様々な「少女論」の試みをかき消してしまったという実際があるのではないかと思うんです。詳細は失念してしまったのですが、ある人形作家の方(※井桁弘子氏)が澁澤龍彦とその周辺に「もっとエロいものをつくらなければダメだ」ということを言われてムカついてた、というような証言を読んだことがあって、その方は少女人形をつくる方だったんですが、こういうところにも「少女」を語る特権者としての澁澤龍彦があらわれていると思うんです。澁澤龍彦的なものでしか少女を語れないという風潮は未だ強くて、ロリータやゴスロリもそこから自由になれていない。そこから抜け出していかないと、少女論を新たに語っていくことは出来ないんじゃないかと感じています。
まだまだ語りたいことはあるんですが、追々、お話していければと思います。
益岡 
頼りにしています(笑)
七星文庫 
七星文庫です。ウェブで古本屋をやったり、一箱古本市に出たりしています。矢川澄子を読むのは初めてだったのですが、ポール・ギャリコなどの翻訳者として名前は知っていました。翻訳者には、わかりやすく翻訳者自身の個性が出るタイプとそうでないタイプがあると思うんですが、矢川澄子は後者のイメージがあって、翻訳をよく読んでいても、「矢川澄子の文章に触れたことがある」という印象はなかったんですね。なのでまっさらな気持ちで読めたと思うんですが……読み終えるのにかなり時間がかかりました。とにかく話が頭に入って来ない。この人は何を言いたいんだろうなというのが入って来なくて……森茉莉などはかなり好きなんですが、この人はあまり好きじゃないな、なんでなのかなと……なんだか一応お金持ちなのに「私なんて貧乏ですから……」と言っている人にいらっとするような……
一同 (笑)
七星文庫 
そのいらっとするのがどこから来るのか、考えながら、でも、答えが出せないまま、ここに来ました。よろしくお願いします。
森の風 
森の風です。矢川澄子は、実はほとんど今まで読んでこなくて、その存在を知ったのは……多分、澁澤龍彦の奥さんだったひと、という情報を知ったのが始まりだったと思います。「ユリイカ」の追悼特集号が出た頃だと思うので、もう亡くなられていたのかな。澁澤龍彦の年譜の中でも存在が消されていたというか……ああ、そうだったのか、と驚いた印象があります。残っている写真を見るととてもかわいらしい方で……文学の中で「死ぬ少女」というのは多くいると思うのですが、「生き延びた少女」というか、老女になれた、少女のまま老いることが出来た、子どもは生まなかったけれど成長できた少女……そういう印象を持っています。女性として強いというか、フェミニズムというのが貶められて書かれる時代に在りながら、そういうものともうまく渡りあって長生きした方だったんじゃないのかな、と。その存在感がこの本の中にも見て取ることが出来て、すごく面白かったです。


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