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家庭化学工業 庄野克彦氏を惜しむ

昨年の年末であった。
異形成症候群と言うのか難しい病気になってしまって、と電話をもらった。

殺しても死なんようなひと。人類が滅んでも最後まで生きるやろうと言うくらいタフなひとではあった。

私にとっては叔父。母の弟。
立派に一代で仕上げた家庭化学工業を率いて、今は子息に社長業を譲っている。

80代と言えばしゃーないのかもわからんが、たいへん急で、あんなヤツ絶対なんのかんの言うて、まだまだ死なんわ、と、心配はしつつもタカを括っていた。

が、入院、どうも以前の放射線治療の影響かも知れない。
そこに肺炎を併発して、携帯に電話して、普通に会話して、ボロクソ、ワル口もたたきながら談笑してお大事に、で終話したのもなんとやら。

数週後には、呼吸も会話も苦しい状態になって、逝ってしまった。

事業承継が完了してからでそれは不幸中の幸いではあったものの、喪主長男氏の言葉に心打たれた。
しんどい。入院させてくれ、と病院嫌いです一度は帰ってきていたのに、よほど苦しかったのだろう。
にもかかわらず、長男氏にかけた最後の言葉、


「さらば!」だったと言う。

殺しても死なんフリしてしっかり覚悟を決めていたんだ。

親族の集まりでは、道化、ワルに徹して、クチは悪いは、放送禁止用語は連発、一見上から目線で、「おい、いちろう、」てなツッコミが連発されるので、親族の中には遠慮がちに話す人も居たが、ボクは子供の時から遊んでもらったり、何かと学資やなんちゃら祝いやら支援してくれて居てサッカーを教えてもらったこともあり、タメ口がきける、アホボケくらい言っても良かった、そんな間柄であった。

が、さすがビジネスではきっちりしていたようで新製品の夢を語り、収益を伸ばし、ああ、あれはエンタテインメントとして、周りを盛り上げてくれていてのだな、細心の気配りは実は欠かしてないやんけ、と、うすうす気付いてはいたが。

しかし、藤井寺の産んだ主に歴史や教育の功労者、三根さんの同じ。どこか、自分の欲得がはいっていない人だった。何をするにも。

今夜はビフテキや!と言うて、人数1人分間違えてる、そんなことがあり得る、ええヤツやったなあ、とあらためて思うのである。

先週は一周忌法要。まだその辺で生きとるような気がするやんけ。ほんまに。

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