五輪エンブレム 再考

佐野研二郎氏の盗用疑惑を発端に、選考過程の不透明さ、事後対応の佐野氏への不審もあって、氏の一旦採用されたエンブレムは、決定を白紙へ。改めて、現在のエンブレムが採用されたことを思いだす。

備忘として、当時のロゴへのリンク(アドタイHP)、(ismedia)へのリンクを貼っておく。

今回書くのはそれは、まあ良くないのだが、発表時点で、このエンブレムには大変違和感を感じた。ここからが本題。

その根源は、現在に至ってもなぜ、オリンピックとパラリンピックの区別があるのか?オリンピックの中に健常者部門とT54などの障碍区分がある、別部門が置かれる仕組みになっていないのか?との疑問がある。

さて、このロゴへの違和感であるが、オリンピックがポジ、とすれば、「T」と読める部分、パラリンピックのロゴがネガ、の関係になっている。僕の中では、こんな表現はあり得ない。盗作であるにせよないにせよ、そもそも、この発想に強い抵抗感を感じて、それはないだろう、と拒否感を感じていた。盗作である証拠はWEBで簡単、ではないにせよ、ひと手間かければ、5年以上前にWEB上で類似画像を探し出すことはできた。が、なぜ、そんなエネルギーを費やす動機を持ったひとが出てきたのか?

実はWEB上を探し回った人たち、後から追従して、これもこれも、サントリーのキャンペーンの景品まで探したひとは別として、彼らは、このネガティブに見えるパラリンピックのエンブレムの表現、オリンピックとパラリンピックのエンブレムが共通でなく別個で、突き詰めれば大会自体が別もの、になり続けていることに違和感や嫌悪感を感じたのではなかったか?意識しなかったとしても。などと思う今日この頃である。

オリンピック開催に否定的な世論も強い昨今、商標やテレビ放映権料、などの収入管理が、別、との理由は説得力を持たないのは、大多数のひとの共通認識になりえると思う。

この項を執筆するきっかけは、虚報タイムスの当時の記事である。

このあたりから、騙されてしまった人々の反発などもあったのだろうか、新たな記事がない虚報タイムスであるが、良いところを突いていてシニカルで面白いと僕は思うので、もったいないことである。コロナ記事も書いてほしかった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?