あるべきデブ専像

閲覧注意です。正直な思いを伝えるため一部卑猥な表現を含みます。

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私がデブ専であることは前に書いた通りである。今年7月にはズバリ刺さったミケポちゃんのAVが出て何度も見返している。デカい衣服に包まれてるがその上からもムチムチ感の分かるデブ女で裸体ももちろん素晴らしく誠に興奮した。全く3桁超えのデブは最高だぜ!

私の肉欲的な本音は以上のとおりだが、私は女が将来健康上の問題が出るレベルに太っていることには反対である。そのレベルのデブというのは標準体型という生きる上での健康の本筋から多くの場合自ら外れた、本来間違った存在である。それを好む我々もまた常道を逸していることを認めなくてはならない。この事実は「3桁級のデブ女が好き」という個人的な性的嗜好とは一線を画して私を含めてすべてのデブ専が認めるべきだ。デブが間違った存在であることは『持続可能なデブ専のあり方』という記事で力説したのでこれくらいにしておく。とりあえずこれらの前提をもってこの記事を読んでもらいたい。

私が今回問題として取り上げたいのはデブ専としてあるべき態度についてである。Twitterを見ているとまたデブ女は「こんな体嫌いじゃないですか?」だの「また太っちゃった」だの最初から擁護してもらえることが確定しているかのように自分の体を載せてツイートし、デブ専男は「かわいいお腹だね」とか「太ってることが悪いなんて一方的な見方だから」と当然のように擁護し誉め言葉でリプライする。私は上にあげたような、デブ女に甘く接するデブ専男の態度は良くないと考える。

その理由はそのようなデブ専男の態度はデブ女を蔑ろにするものだからだ。彼らは答えるだろう。「彼女らを尊重し大切にしている」「甘やかしてほしいという意図をくみ取っての態度だ」と。まず尊重し大切にするというのがひっかかる。ここでの尊重は「デブという俗悪」の尊重であり、本来悪いものを礼賛しているように感じるし(本来悪いものが礼賛されることの問題点についてはまた別稿で書くつもり)、尊重という言葉も耳ざわりが良いだけの虚飾にすぎないように思える。大切にするという言葉はデブ女がデブ女であり続けてほしいという本来叶うべきでない俗悪的な願望の表れである。そこには彼女の人間本来のものを尊重し大切にしようという心は一切ない。むしろ彼女の将来の健康はどうなってもいいという無責任かつ刹那的な欲に飲まれた言葉だと言える。甘やかしてほしいという意図をくみ取っての態度というのは私に言わせてみれば、褒めることでデブ女に間違った自尊心を持たせようとする態度である。デブであることに価値があるいう自尊心は持たせてはいけない。自尊心の充足を求めてデブ女は自虐的な言葉や写真をあげるのは既に間違った自尊心に支えられている証拠で、デブが間違いであることを必死に否定し自尊心を外部から供給することでしかやっていけなくなっているのだ(自分に価値があると思っている者は自分の体をツイートなんかで安売りしない)。デブであるという劣等感に対する一番楽な処方箋が写真付きで自虐的なツイートをしてその擁護リプライで自尊心を満たすことなのだ。そんな方法で得られた自尊心は自分には価値がない・デブは悪いことだという本心からくる不安により食いつくされてすぐに足りなくなる。そしてまた虚構の自尊心を求めてツイートをするのだ。デブ専男は自尊心を燃え上げさせる擁護コメントという名の燃料を与えるかわりにデブ女から写真や動画を得る。このサイクルは麻薬と非常に似ているな(だんだんエスカレートするところまで)と感じる。また性質が悪いのが批判的な意見には「多様性の時代」とか「Twitterなんだから見たくないなら見るな」とかまるでそちらに大義名分があるかのように振る舞うことだ。デブ女自身「本当は悪い」と分かっているものをデブ専男が肉欲という需要を盾に正当化し甘い言葉で堕落させている。デブ専男の甘やかす姿勢がデブ女を蔑ろにしていることが理解していただけただろうか。

デブ女がデブであることは悪いことだが、機械化が進んだ飽食の時代、富んだ国の人間には当然存在してしまう身近な悪だと思う。デブは必ずその社会に一定割合存在し、皆大小あれど劣等感を抱いているだろう。故に私はデブが存在することは当然でそれを好む人がいてもそれは止めようがないことだとは思っている。しかしデブ女の劣等感の補償の仕方だけ、間違えてほしくない。それはデブ専男のデブ女に対する毅然とした態度で改善しうるものではないか。デブ女が真に自信を持てるようにする、デブ女の人生に真の好転をもたらす、これこそデブ専男に求められる態度なのではないか。そう考える。

反論大歓迎である。議論をして決着のつく問題ではないと考えているが議論しないことには始まらない。よければデブ専という逸脱した性的嗜好について、ともに語り合いましょう。