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Twitterの「匿名」について思うこと2

前回のまとめ
Twitterの「匿名」について思うことを書く前に
あるHな掲示板での匿名者による非難に対して
スレッドを立てたスレ主として何処の誰かを名乗って
非難せよと応酬し合ったことを書いた
実際にその時の私の掲示板を公開して
私がどのように対応したか
読んでもらえば分かるようにした
複数のものが「匿名」という名で私を攻撃してくる
どんな攻撃嫌がらせも受けるが
それに反論する権利が私にはある
私が彼らに名を名乗れと要求したのは
実名を書けというのではもちろんない
ニックネーム ハンドルネームでいいのだ
そしてもう一つ要求したのは
自分のスレッドのタイトル・掲示板を明かせと言った
言ってみればそれは住所に値する
実名ではなくてもHNと掲示板でその「匿名」氏の素性
どんな考えを持っているか
あるいはその投稿内容を系統的に読むことによって
どんな人間かを追跡できる
匿名の子らに名を名乗ることの必要性を説いてきた
無駄だと分っていても
その子らに私の考えをぶつけてきた
私のような大人がいることを知らしめるだけでよかった
様々な経験をしてHな掲示板への私の興味は失せて
Twitterでのチェックを主にすることにした

Twitterでの「匿名」を考える
Twitterで言う「匿名」とは
いわゆるユーザー名のことを言っている
実名を使っている人も多い
実名に対してユーザー名を使っていることをもって
「匿名」と言うようだがこの「匿名」は
Hな掲示板で私が避難していた「匿名」とは
全く性質を異にしている
ユーザー名には様々な名前が付けられていて面白い
その人の政治的立場を意見を表明している場合もある
趣味に合わせた名前もある
その時々に名前を変える人もある
その人の個性が様々表現されているように思う
私はブログでのHNをそのままユーザー名にしている
「無名魂」という無名作家の作品を公開するブログにちなんで
そこの管理人をしているので無名居士と名付けた
無名で野垂れ死にと心では願っている

「匿名」=ユーザー名は様々ではあるが
その人のホームでツイートを追跡することで
その人をある程度理解することができる
顔が見えないだけでその人の考えや思想や政治的立場
あるいは趣味趣向も分かる
「匿名」ではあってもTwitter上に実在している
ホームが住所と考えればいい
匿名とか実名とかをそんなに難しく考えないでもいいようだ
Twitterはそもそもつぶやく場
勝手につぶやけばいい
実名をあえて名乗る必要を感じないなら
ユーザー名を名乗ればいい
実生活とは違う場ではあるがここも自分の居場所
自分の表現の場
ユーザー名をペンネームとしての自己表現の場

実名を使うということ
Twitterでユーザー名を使うか実名を使うか
それは個々人の自由な選択によるもの
実名を使うことがメリットがある人は
ツイートそのものが自己表現であるし自己宣伝になる
著作物がある人はその知名度でフォローされるだろうし
作品の宣伝やイベントの告知もできる
フォロワーやファンによって拡散され宣伝効果は上がる
実名を使うか使わないかは個々人の都合であって自由
ということは
実名であるか否かはいかほどの問題ではない
実名を使っている人が
「匿名」の人を批判する筋合いのものではないといえる
「匿名」=ユーザ名使用者のツイートの趣旨や態度等に
間違いや問題があったとして
批判されるべきはその内容であって
「匿名」云々を引き合いに出して非難するのはおかしい
実名にも匿名にもいずれかに優位性があるという問題ではない

ネットは平等
そもそもインターネットは
かつては顔が見えない世界
一部でTV電話的通信もあるが
ほとんどは顔が見えない世界
それは利点もあれば欠点もあろう
見えない世界のネットの良さは
年齢も社会的地位身分も性別も関係なく
平等であるということ
20年ほど前
私がネットを始めた頃に流行っていたチャットで言うなら
「こんにちは」とあいさつすれば心がつながる世界だった
そこでは実名もハンドル名も関係なく
お互いが尊重し合うことで成立する世界だった

実名を名乗るも自由
名乗らぬも自由
愉快なハンドル名=ユーザー名を
名乗るも自由
名乗らぬも自由
ネットは愉しめばいい

次回は
報道について考えてみたい


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